Mr.Children いつでも微笑みを

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数日中まだ倦怠感を感じていたが昨日早朝思い切って走ってみた。走り出しはこの曲だった。いつも思うことだが歌詞ではなくメロディが良い。いつでも微笑みを、とは吉永小百合橋幸夫の「いつでも夢を」へのオマージュだとどこかで読んだが「いつでも夢を」では走れないだろうな。

ミスチル効果。あれほど怠かった身体が走っても走っても軽いぞ。気温が上がる前に家に帰って来なければ再び点滴だぞとすごく早い時間に家を出てみたが、いつもの公園の池に一羽の鴨が佇んでいた。近寄っても逃げない。ん?まだ寝てるの?

19世紀末のヨーロッパでは芸術建築文学など様々な分野に変化が生じ始める。その要因等はその筋の論文を読めば粗方は理解できるのでここには書かないが、興味深いのはドイツ内外、ドイツ付近でのその現象である。

わたしは生まれつき単純で思い込みの激しい人間である。病気を脇に置いたとしてもこの自分の熱し易さには自分で太鼓判を押す(それ意味あるの?)。かつて19世紀末ヨーロッパは何もかもが世紀末、退廃的なのだと勝手に思い込んでいた。

思い込みとは恐ろしい。アールヌーボーという言葉がある。アールヌーボーですね、ああ、アールヌーボーですな、などと口々に言うが今はわたしはもうそういうことを言わなくなった。これは大きな進歩である。

さてドイツ付近(知りたいのはは南西ドイツのシュトゥットガルトの辺り)では19世紀末のアーチストたちは何を見、何を感じていたのだろう。アーチストったっていろんな個性があったに違いない。

ドイツ人が真面目であるとはよく書かれることだがここのところいろんなものを満腹になるほど読んでいるとかのアールヌーボーがドイツ人アーチストたちには実に興味深い派生をしたという論文にぶち当たった。

もうアールヌーボーのことは忘れてもらいたいのだがドイツでの19世紀末の新しい創作のうねりの1つにユーゲントシュティールがある。ユーゲントは青年、シュティールは様式、スタイルのことだ。

ユーゲントシュティールは青年たちこそ芸術家であれ、子どもたちには良質の絵や文学を与えよう、これからは若き感性を育て讃えようというムーブメントであった。まあそうとも言い切れない面もあるがそうだと言い切っていい作家もちゃんと存在する。

ユーゲントシュティールが新しいものであるということはそれまでのドイツ付近では若年層の人々は半人前の役立たずであり、子どもはとにかく全く使えない、早く一人前になってね、という扱いであったとも言えなくもない。

マルガレーテシュタイフの自伝的映画のDVDで、10代の障害者マルガレーテが自身の高額の薬代を惜しみ悩む母親へ「お母さんはあたしが早く死ねばいいと思ってますか」と尋ねるシーンがある。マルガレーテは子どもであり、かつまた障害者であった。背が低くて声が小さい子どもは大人から見れば弱者であることは歴然としている。子どものマルガレーテは自力で移動することも出来ない日常を送っていた。

母親はこの子さえ居なければと思ったかもしれないし、思わなかったかもしれない。一家はとにかく日々を暮らしてゆかねばならないのだ。ユーゲントシュティールは全てのドイツの子どもたちに豊かな感性を持った大人になってもらいたいと願った。このドイツの新しい良識の背後には長く続いた貧困と真面目さゆえの効率至上主義がある。

さて前置きが長くなったがシュタイフ社のぬいぐるみ製作に話を移したい。

子どもたちにはぬいぐるみが必要だとする精神科医の論文は幾らでもある。よく知られているのはスヌーピーに出てくるチャーリーブラウンの女友達の弟ライナスの毛布だが、いつも決まったふわふわした何かを持っていることが情緒を安定させることを移行対象理論という。

ドイツ贔屓のわたしはフェルトのペチコートを縫っていたマルガレーテがある日ぬいぐるみを作り始めたことが大変賢かったねと思う。シュタイフ社の動物人形はバカ売れした。人々の動物への関心は高まっていた。子どもたちは特に動物を見たがった。

敢えてぬいぐるみと書かないのはシュタイフ社製の動物人形には当初は様々なバリエーションがあったからだ。抱っこ出来るものばかりではなかった。そもそも第一号のゾウさんは針を置く為の針山だった。

満腹するとデザートが欲しくなるのと同じで今日はわたしは19世紀末に実際にヨーロッパで興行をしていたサーカスで猛獣を手なづけていた猛獣ハンドラーの手記を読んでいる。

読まねばならないのはドイツの歴史や芸術の変遷、シュトゥットガルトという町の立地の特異等数字や資料だがもうなんか満腹でさ。

熊が知りたいんだよね、わたしはさ。だからリヒャルトがさ、なんで熊大好きだったのか、なんだよね。リヒャルトはおそらくは動物園よりもサーカスをよく見たかもしれない。マズルベアを作ったのもサーカス熊を愛していたからだと、いや、違うかな、わからん、こういうのは熊親父しかきっとわかんないんだよ。

ああ今日も暑そうだなあ。室温が上がったらどこかへ行かなきゃな。

ドイツ人熊親父の熊談義は熊有りき。え、熊だよ、当たり前じゃん、みたいな。わたしは是非とも熊を相対化したい。まだ間に合う。わたしは女子です。かろうじてわたしは今まだ熊親父ではない。

ドイツ語もまだまだだ。

昨日吉田秋生BANANA FISH」全巻届きました。安かったんだよね、あんなにいい漫画なのにね。世の中わかんないなあ。

アッシュ熊好きかなあ。

とりあえず漫画でも読むか。