spitz-tanpopo

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スピッツの「蒲公英(たんぽぽ)」という曲を覚えている。かなり昔の曲でどのアルバムに入っていたのかはわからない。youtubeで探してみたけどなかった。もうずっとジプシー音楽を流しっぱなしにしている。

わたしが中学のころだ。担任の教員は熱く語った。在日としてのアイデンティティのなんやかんやはどうのこうのである。当時まだ私立高校の幾つかには外国籍で受験出来ないところがあった。父は当時家族ぐるみ帰化を申請中であった。

わたしは黙秘権を行使した。しかしわたしの兄は変てこりんな作文を書いた。給食の時間、校内放送でそれが読まれる。兄は人が良い。そして教員は諦めの悪い確信犯である。

僕らが隣り合うこの世界は今も

煙たくてそこには入れない

spitzは確かそんな風に唄っていた。レコチョクで買えるのかなあ。

作文を褒められた兄は天狗になり、指紋を押したくらいなんだ、帰化をしたところで俺は朝鮮人のままだ、と鼻の穴を大きくした。

教員は常々自分はエタヒニンの出身であると自慢気に語る人だった。わたしと2人きりのときにはその家系のせいで俺は恋人と結ばれなかったのだと言っていたがわたしは違うと思い、先生それは違うと言いたかったが、わたしはきっと心のどこかで彼を気の毒に思っていたのだろうか。それは言わなかった。

真っ赤なセロファン越しに見た秘密の庭

ジプシー音楽を聴いていると蒲公英の歌詞が断片的に落ちてきた。自分の不幸を他の誰かのせいにして日々不自由を感じているのは不幸な境遇に心酔しているからだと、闘争的なやり方に手応えを感じていては何も解決しないと、もし今彼に会えたら言うかもしれない。

ヒトは自由だ。そしてわたしの人生はわたしの手の中にあるんだよ。わたしは言うかもしれない。

そうさ、そうだよ。でもそうだとしても君はあのころ惨めで辛い毎日を送っていたじゃないか。それは紛れもない事実じゃないか。彼は淡々と返すだろうか。

spitzのこの曲は不思議な自己肯定感に満ちていた。君は今世間という不気味で凶悪なヒエラルキーの狭間で喘いでいる。肩の力を抜いて周りを見回してご覧。

spitzはそんな風に唄っている。