苦瓜を貰いました

https://www.instagram.com/p/uJ4XpIlg5o/

http://youtu.be/vaHlQe9zgcM

(KAN〜まゆみ)

頭の調子が悪い。幻聴が激しい。低く唸る熊の声。浅い眠りで悪夢にうなされ悲鳴をあげて飛び起きる。朝が来ても遮光カーテンを閉め切ってとにかく眠り続ける。

隣の階段に住む友人が頂きものの苦瓜をいまから持っていくよと電話をくれたが今ちょっと誰にも会えなさそうでと断るとドアに掛けておくよと電話を切った。

KANの「まゆみ」を聴く。占いをしていたころ何人かの「まゆみ」に出会った。

ある「まゆみ」は書道家で1年に数回個展を開いていた。家柄は良かったが訳あって母子家庭で育ち華道家の母親との確執に悩んでいた。彼女の書はかすれた筆跡の作風であり、それはまるで心の砂漠で枯渇する彼女自身の日々の軌跡を思わせた。

17歳の「まゆみ」は準看護婦になりたてで、ある夜男友達とシンナーを吸ってドライブ中バイパスを逆走し対向車を避けようとガードレールに激突して亡くなった。即死であった。辛抱強くて明るい子だった。突然の自殺であった。

別の「まゆみ」は不倫相手の子どもを妊娠したことが発覚してほんの少し悩んでいた。見た目はごく普通の主婦である彼女はその年までに既に野球チームが作れるほどの数の胎児を堕していた。

不倫相手は町の金融会社の社長で1度占いに同席したことがあるがその男もまた見た目は小綺麗な中年男性であった。彼女の苦悩を他所にそれなりの平穏な家庭を築いていた男の冷淡な横顔を今もはっきりと覚えている。

不幸なオンナたちを次々思い出すのは何故だろう。わたしは彼女たちと出会って別れた。KANの「まゆみ」を聴く。わたしは今はわたしの毎日を取り戻さねばならない。

名前は違ったがある意味わたしにとっての「まゆみ」であった彼女の人生は辛いものだった。彼女はわたしの2つ上であり、法事の宴会の台所の下働きで出会った遠い親戚だった。

彼女の死を知らされたとき自殺かと思った。死因は脳卒中であった。中学生の息子のために朝食のホットケーキを焼き、頭痛がするといって布団に入ったまま帰らぬ人となったそうだ。

その年にわたしは発病して、原因は病気だけではなかったが親族から排斥され、風の便りで彼女の死を知らされたが、生前の彼女はその痩せた小さな身体をバネのようにしならせる、そんな美しい動きの人であった。

今朝幻聴の洪水の中でわたしはこのまま死ぬのかなあなどと考えた。KANの「まゆみ」はいい曲である。

生き辛いことの多い世の中である。わたしの知り合った何人もの「まゆみ」が不幸な人生を歩んでいたことが紛れも無い事実だとしてもわたしは彼女たちと共有したあの景色を思い返す。

あのときわたしはけして励ましたりはしなかった。昼過ぎ玄関のドアノブにスーパーの袋に入った苦瓜が掛かっていた。明日はきっと少しは元気になっているだろうから苦瓜を塩豚で炒めて食べてみよう。

苦瓜ありがとう。

わたしは友人にメールを送った。