Mr.Children/常套句

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食べてみたいものが必ずしも美味しいものであるという保証はないが長年食べてみたかったものであればその味に多少の違和感を感じることはむしろ願ってもないことだ。なんだこれというはてなが無ければ詰まらないというものだ。

ドイツ語のレッスンを兼ねてインスタ等でドイツ料理をドイツ語のコメント付きであげている何人かのドイツ人の頁を熱心に毎朝チェックする。今朝のことだ。レバーケーゼとある。ユリイカ

今度は別のSNSでレバーケーゼを検索する。何人ものドイツ人がパテカン(パテドカンパーニュ)(お上品なフレンチのミートローフ)のようなものをレバーケーゼと称していた。

はじめに見たブロガーさんはレバーケーゼはドイツ及びオーストリアではポピュラーなミートローフであると説明している。ミートローフを直訳するとフライヒカッセだ。もしくは北部及び中部ドイツ語でいうところのフライヒクルーゼ(肉団子)ではないだろうか。

つまりこういうことだ。北部及び中部ドイツでは肉団子と呼んでいたものが南部ドイツではレバー団子となる。そして南部ドイツでは”これはオーストリアの伝統料理”と付け加えるのがちょっとステイタスのようである。

オーストリアはドイツ語圏の独立国である。スープのなんやかんやを読んでいて感じることだがハンガリーやトルコのスープと南ドイツのスープはその素朴さに於いて共通するところが多いのにオーストリアは異質なのだ。

簡単に言うと気取っている。たぶん資料が少ないせいだとオーストリアの田舎の景色をあれこれできる範囲で調べているがやはりオーストリアというところは少し変わった土地なのである。ざっくり言うとオーストリアのパン焼き釜と南ドイツのパン焼き釜はまるで違う。イタリア、ロシア、ハンガリーの中世のパン焼きシステムと比較してもオーストリアには独特の文明が完成されているようなのだ。

逸れるようだが北イタリアではパン焼きを年に多くても3回しかしない地域があった。通年を通して農作業が忙しいことやパン焼き釜が屋外にあり共同で使うなどの利便性がかえって”まとめ焼き”形式を生み出した。多い時は一軒の家庭で一度に500枚の薄焼きパンを焼いた。

何故薄焼きパンなのかをざっくり言うと、ローフ(塊)はカビるのだ。ライ麦パンでもカビるのだ。しかし発酵生地でクラムをムラなく持つ薄焼きパンは乾燥地帯では何ヶ月も食することが可能な保存食となる。

ドイツに戻るが、南ドイツで肉団子と言えばそれはレバークネーデルというのが正式である。レバークネーデルはバイエルン州(ドイツの右下の州、オーストリアに接している)の名物料理である。

クネーデルの語源はチェコであるという。そして北イタリアにもカネデルリという”パン入りのニョッキ”というものが存在するが、先ほどの北イタリアの田舎でそれほどパン食が重要でなかった理由のひとつがパスタの存在だ。

伝統食としてパスタみたいなものを食べるドイツ人は南ドイツが主であるが農作業で忙しく、それでも毎日の暮らしを楽しみたい北イタリアの人たちのパン焼きの重要度が低かったのはパスタ料理の存在を考慮すべきかと思う。

では何故パン入りニョッキなるものがあるのだろう。ここがわたしの悩むところなのだ。まあ古いパンの活用のひとつであるがニョッキにパン粉を入れたりしてはたして美味しいのだろうか。わたしなら入れたくない。ニョッキはもちもちが身上ではないのか。

その筋の本によれば日本人は世界で1番「食感」を重視する民族らしい。ニョッキイコールもちもちという発想が日本人独自のものである可能性は否めない。いや厳密に言えばわたしは日本人ではない。まあ今日はいい。何しろ熱中症上がりなんである。

北イタリアのカネデルリ。パン粉を入れたニョッキ。美味しくないものは歴史には残らない。食感だけが美味しさではない。

バイエルン州に話を戻す。レバークネーデルの実態はじつはパン粉を入れたレバー団子だ。それがスープに浮き身として浮かんでいる。

ふやかしたパン粉に生のレバー(鶏でも牛でも豚でも)を混ぜて団子にする。わたしは少し前にこの話を夫にしてレバークネーデルを作ってみようかな、というと速攻俺はいいやと返された。この日本語のいいやはノーサンキューだ。なんとなく不味そうだと夫は逃げ腰である。

さてわたしはロブションが好きで暇な時はロブションの本を読んでいるがロブションが食材に特化したレシピをエッセイと共に載せている分厚い本がある。わたしはロブションはレバーをどう考えているだろうか、とちょっとぱらぱら。

わたしはレバーが苦手だがレバー嫌いになったのはフォアグラを食べた時だった。わたしは思考が時折動物寄りになるがフォアグラを心のどこかで全然許せない。滑らかだの深い味わいだのどうでもいいわ、と卵プディングを食べてりゃいいじゃないかと腹がたって以来レバーが苦手になってしまった。きっとわたしにガチョウが乗り移っていたのだ。

ロブションはフレンチの巨匠だがロブションのフレンチの言い訳を読むとフォアグラを食べた時の人類としての罪悪感を共有出来るようで溜飲を下げることが出来るように感じている。

ロブションはジビエが1番上等だといろんなところで書いていたはずだ。野鳥のレバー料理を検索すると野生キジ肉に鶏レバーを混ぜる肉団子料理がヒットした。これはユリイカだ。

わたしは閃いた。レバー等の内臓肉は鮮度を保ち難い。かつて貧しい南ドイツの田舎で家禽の鶏を解体したら肉はローストに、レバーはそのまま団子にしたに違いない。

鮮度の良い鶏のフィレ肉をわざわざ叩いて挽肉にしたとは考え難い。その点レバーは柔らかくて団子にし易い。お母さんはそこに硬くなったパンを混ぜたって不思議じゃない。

さてでは日本のドイツ料理の権威である野田さんの本をいま1番読むと「バイエルンのレバークネーデルは音楽家モーツァルトが好んで食べた」などとあるではないか。

いや待ってくださいな、モーツァルトはオーストリアのザルツブルク生まれの上流階級のグルメであったはず。じゃあこのバイエルンのレバークネーデルは美味しいことになる。

資料を深く検索する。モーツァルトはレバークネーデルを故郷の味だと言ったらしい。オーストリアといえばハプスブルク家であるがここら辺で頭の中がモーツァルトになっていく。レバークネーデルを試作する気などとっくに失せてしまった。

35歳という若さで亡くなった薄幸の音楽家モーツァルト。少し前に見た破滅的な若きモーツァルトの映画面白かったなあ。また観たいな。

今朝はいま1番レバークネーデルにリベンジせんとロブションから読む。ロブションは真面目さんだ。そして頑張っている。フォアグラ好きでなければ彼と暮らしてもいいと思う時もある。

あった。

ア・ラ・ジターヌ。ジターヌとはジプシー流という意味である。ア・ラ・ジターヌとはジプシーたちの調理法で作る野生のキジの料理のことで、ロブションはそのレシピの詳細を載せている。ロブションもジプシーたちには一目置いていたのだ。やだ話合うじゃん。

新鮮な家禽もしくは野鳥のレバーはおそらくわたしが今日スーパーで買おうとしているレバーとは味が異なっているのだろう。

今日のBGMはMr.Children「常套句」。https://youtu.be/2iKRxczFkOI

はたしてモーツァルトはこの曲を気に入るだろうか。(主に講談社学術文庫 舟田詠子「パンの文化史」、柴田書店 ジョエル・ロブション「ロブションの食材事典」、里文出版 野田浩資「野田シェフのドイツ料理」を参考にさせていただきました)