漫画「ベルサイユのばら」を読みました

https://www.instagram.com/p/BJv8uSqDPGy/

http://youtu.be/xp-Sx2f-_vo

(スピッツ 兎のバイク)

日曜日の午後から次女の家に泊まっている。次女がぎっくり腰で動けないので家事などのなんやかんやをしている。

日曜の休日診療所はどこも4時半で終わり。間に合わない。病院は明日だね。わたしは自分用のカロナールを次女にのませた。主人が帰った。普段も寝袋で寝ているわたしはタオルケットを敷いただけのフローリングにゴロリと寝転んだ。

次女が「ベルサイユのばら」愛蔵版あるよと言う。ぱらぱら。ふうんオスカルって女なの?ママ本当に読んだことないんだね。次女は驚いている。

いや読んだことあるよ、といいつつわたしの脳内には手塚治虫リボンの騎士」が浮かんでいた。「リボンの騎士」って何。次女は「リボンの騎士」を検索する。「リボンの騎士」は1950年代の漫画である。古い〜

翌日の朝次女と2人行きつけの整形へ。待合の本棚には「王家の紋章」「ガラスの仮面」などの漫画本がズラリと並んでいる。もしかして。あった。文庫サイズの「ベルサイユのばら」。

少し読んでは本を閉じる。なにかと調べずにはいられないのだ。わからない。オーストリアがフランスと勢力を二分する大国となったのは何故なのか。山あいの小国がそれほどの力を持った理由は何か。

ハプスブルク家神聖ローマ帝国マリー・アントワネットフランス革命、ナポレオン、ジョセフィーヌ。高貴な人たちの暮らしはなかなか大変だったようだ。

帰宅して昼ごはんを食べ愛蔵版「ベルサイユのばら」で続きを読む。オスカルとアンドレは近衛兵である。わたしはかつて自分は近衛兵であったというお年寄りを1人知っている。彼は心の正直な子どものような澄んだ瞳をしていた。痩せたからだをしたなんとも慎ましいお爺さんであった。

昭和初期の作家嘉村礒多の小説「崖の下」で主人公の父親天皇の馬車をひと目見ようと街頭行列に並ぶが身なりが汚いという理由で憲兵に摘み出されて叱責されるという場面が確かあった。

父親は少し考えてきっと汚いのはいま自分が履いている古びた草履であろうと草履を脱ぐとそれを懐に押し込んで、父親はこんどは素足で、さっきよりもさらに神妙な顔つきで背筋をピンと伸ばし列に加わる。しかし憲兵が又やってきて彼の襟首を乱暴に掴む。この父親は再び列から引き摺り出されてしまうのだ。

わたしが嘉村礒多を好きなのは嘉村礒多にヨーロッパの空気を感じたからかもしれない。

ねえオスカルとアンドレはちょっと新撰組みたいだよね。次女は痛み止めが効いたのか眠ってしまったようである。

スピッツ「兎のバイク」を聴く。この曲を思い出したのはこの曲がちょっと宮沢賢治みたいで、宮沢賢治には少しヨーロッパを感じるところがあるからで、やっぱりわたしは「ベルばら」って柄ではないかもしれない。

でもまあ続きを読むことにしようかな。