風呂を買った。先月のことだ。風呂を売っている店舗は近所に三軒あって相見積もりをして決めた。
見積もりに来た最終業者は大手であり、ガス会社の御用達であったが、わたしたちの住んでいる公営住宅の築年数が余りにも古いということから生じる様々な不備を流暢に語った。
貧乏人を馬鹿にしたような態度がイラついたがそれよりも何よりも何かの理由でカード決済を一切しないその会社から風呂を買うことは出来なかった。
ここは1番古い、1番安いタイプの風呂釜しか取り付けられない公営住宅だ、それくらいの現金はあるでしょうと言われ正直少しばかり惨めな気持ちになったが、人間の暮らしの豊かさは預金の残高ではないのである。
わたしたちは2番目に見積もりに来た業者から風呂を買うことに決めた。だけどその業者の受け付けカウンターの女性は、わたしたちが「お風呂をください。お風呂を家に付けたいのです」と説明した時、わたしたちがもう何ヶ月も風呂なしの部屋で暮らしていたことにとても驚いており、お風呂って普通在るものでしょう、と何度も繰り返した。その時の対応にも正直心折れた。
さて当日風呂の取り付けに来たのは3人の若い衆だったが、その1人はmiさんと呼ばれており、miさんは念入りに風呂場をスケッチするという独自の見積もり法でダントツ他業者を凌いでのわたしのお気に入り。miさんはあまりお勉強は得意ではないタイプの人だったが若い衆はみな仲良く工事は終始楽しい雰囲気であったのがなんとも良かった。
工事中わたしはmiさんに幾度も声を掛けた。順調ですか?miさんは笑顔で返す。はい、大丈夫です。miさんがわたしに率直に訊く。風呂なしでどうやって暮らしていたんですか?わたしは水浴びだよ、と返した。
miさんには冗談が通じない。ここへ来た時は冬ですよね、水浴びなど出来ませんよね。銭湯だよ。わたしは説明する。ほかの若い衆たちが笑う。それでわたしは真面目に話した。
世界には電気もない、ガスもない、水道もない、そんな国があるからさ、そういうところで暮らして行くための練習をしていたんだ。miさんは神妙な顔で黙ってしまった。ほかの若い衆の1人が凄いですね、と言った。いやそれほどでもない。わたしは腕組みをした。
さてわたしたちは久し振りのうち風呂が有り難くて堪らない。金がないのでしばらくは何処へも出掛けずに風呂に入ろうよ、と夫と次女と話す。追い炊きってすごいよね、段々お湯が熱くなるもんね。風呂に入ることがこんなにも楽しいとは意外である。
翌週ガス会社が風呂の設置確認にやって来た。miさんは大切なステッカーを貼り忘れていたらしく慌ててステッカーを貼りにやってきた。
miさんは言う。お風呂どうですか?
有難いよ、ほんと、風呂って良いよね。
わたしがそう言うとmiさんは大真面目にこう言ったのだ。だけど〇〇さん、これまで風呂なし生活で鍛えた強い心がダメになってしまったんではありませんか。
miさん、そして若い衆たちよ。風呂を付けてくれてありがとう。心から感謝しているよ。わたしは無言で腕組みして何度もうなずいたのだった。
そんなことを夫に話しながらコンビニの菓子パンを2人して食べたが、そのときのそのコンビニの菓子パンはなんだか特別に美味しかった。