ハヤカワ文庫 レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」清水俊二訳

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昨日は次女の運転で市民プールへ。流水プールで浮き輪でぷかぷかしたのちウォータースライダー。25メートルプールでなんとなくクロールをやってみた。結構泳げた。なんだわたし泳げる。周りを見回すとお年寄りばかり。デジャブ〜。沖縄ではなくて銭湯だった。

レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」という文庫本を教えてくれたのは高校時代の友人だった。今俺はこれを読んでいるんだ。わたしは当時少しでも彼と話を長続きさせたかった。本屋でこの分厚い文庫本を買ってこつこつと読んだ。

わたし今ねえ「長いお別れ」を読んでいるんだよ、とケロケロと話したのが彼とのお別れとなった。彼が亡くなって数十年。お話しのラストシーンでは大どんでん返し。彼は整形して顔を変え、メキシコ人として生きており、依頼人の振りをしてマーロウのオフィスへやってくるのだ。死んだはずだよテリー。

多重人格のわたしは時々見繕いの極端な相違から知人や友人から「あんた誰?」みたいな顔をされることがある。わたしは呼び名もそれ相応で多彩。亡くなった彼と、もしもう一度出会えた時に、果たして彼にわたしがわかるだろうか。そんな日はこの「長いお別れ」の筋書きを話してみようかなと思う。

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一昨日はもう一度同じ全粒粉入りのちぎりパンを焼いた。午後にはココナツスコーンを焼いた。ココナツスコーンは薄力粉カップ2、ベーキングパウダー小さじ2、そこに砂糖と塩を混ぜて、ココナツミルクパウダーをカップ1の水に溶かしたやつで生地をまとめた。卵もバターも無しのPBブレッドだった。

今日はこのココナツスコーンを一個と、キクラゲをパンチェッタで炒めたおかずで夕食を食べつつ次女と「製パン王 キム・タック」なる韓流ドラマを観た。

1965年のソウル。出産シーン。産まれた子は女の子。アイグアイグと嘆く姑。『観た人はみんな美味しいパンを食べたくなる!』とDVDケースの裏にあった。パン焼きのシーンはまだ無い。

家政婦に産ませた子どもと嫁の不倫の子どもはどちらも男の子だった。大変だ。赤ん坊と家政婦を嫁は殺そうとする。産まれたばかりの赤ん坊を布団にくるんで必死で汽車に飛び乗る家政婦。ねえパン、パンいつ出てくんの〜。次女が言った。

韓国で女の子が喜ばれないのは戦争のせいかもしれない。戸籍制度は兵役のためでもあった。わたしの時代でもそうだった。女の子が産まれても戸籍には載せない。戸籍に載せないから女には正式な名前は付けなくていいんだよと母たちはよく話していた。

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わたしの産まれたころ在日はかくあるなれば永住権が与えられるとされ、産まれて数週間の赤ん坊のわたしに日本国から正式に永住許可が下り、母子手帳にそんな赤い判子が押されていたのをはっきり覚えている。

母はそのころの貧しい暮らしを何度も繰り返し語ったものだ。ある日は食べるものが何もなかった。親戚からやり烏賊を貰った。やり烏賊を煮たり焼いたりしたの、美味しかったんだよ。当時母は栄養不良で母乳が出なかったらしい。

イザベル・フォンセーカの本を読むとつい最近までアルバニアや旧ユーゴスラビア地帯では失業率は100%。ニクというアルバニア人のロマはゴミ処理場で低賃金で働いた。こつこつと貯めた箪笥貯金で親族の為に家を買うが字を読めないニクは虎の子の貯金を偽物の権利証書と交換してしまうのだ。

わたしの一族では日本人と結婚したのはわたしが初めて。わたしは二十歳で妊娠していたがお腹の子を堕ろすようにと両親と親戚から言いきかされた。日本人の子を産んでもその子はけして幸せにはなれない。日本人とは結婚など出来ない。10代のわたしが恋愛を忌避していたのにはそんな背景がある。

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製パン王のドラマに出てくるハルモニ(韓国のお婆さん)がめちゃめちゃ怖い。世継ぎのためにと冷酷なことを平気でする。ドスの効いた声で嫁を叱る。次女がわたしを見た。いやいやいや、違うから、わたしこんな婆さん目指してないから。

ねえパン!美味しいパン!全然食べたくならないんですけど!次女がキレている。いやいいドラマじゃん。わたし的にはさ、プンパニッケル辺りをね、若干食べたくなって来てはいるんだよね〜