名栗

https://www.instagram.com/p/BNv-tIJhmLp/

(明治村3丁目21番地 西園寺公望別邸坐漁荘)

名栗というのは『ちょうな』という専用の道具を使って角材の表面に痕を残す加工技術のことで、初めて見たときは???となってしまった。いつまでも柱をなでなでしていたら学芸員さんがやってきて説明をしてくれる。数寄屋造りというのはつまり”フォーマルじゃない”というニュアンスのことらしい。その建物には幾つもの縦横の柱にこの名栗がランダムに施してあった。

名栗ですよね。学芸員さんはいやあ素晴らしい、名栗はいいですね、みたいな感じにしみじみと言うがそのときのわたしはそれが伝統的なニッポン工芸の手法のひとつだということを知らないしその日は名栗が実は'殴り'にしか聴こえず、なお一層そうなのかと殴られた柱の傷を撫でていたのだった。

帰宅後名栗をリサーチ。栗の木であった。名栗であった。殴り名栗と一日中呟いていた。昨日午後村へ。殴られた柱だらけの重要文化財の特別展示(中に入れる)は3時までだ。村はとても広い。年間パスポートを購入して正式に村民となった我々は指定された駐車場に車を停めよと指示されていた。

北門からその重文までは走っても10分はかかるか。最寄りのコンビニに寄ったときにはもう2時を過ぎていた。間に合うかな。この夫は世界一のんびりさんなのだ。

f:id:fridayusao:20161211064613j:plain

これは風呂場へと続く脱衣所の床の一部分。これも殴りなのかな。なでなでしていたら学芸員さんがまたもやなんとも言えないしたり顔で近づいてきた。殴り?わたしは先手を取る。ええ名栗です。まだ息が切れる。走り込み滑り込んでの殴りを一枚撮る。

この建物の持ち主は江戸明治大正昭和を生きぬいた華族の重鎮。明治天皇の近習だった。近習というのは近くで支えたという意味だが調べてみたら主従関係よりはむしろぐっと親しい関係であったようである。

学芸員たちは華族の位に詳しく菊花紋章や桐の紋の由来なんかも語る。しかしわたしが興味があるのは殴りであった。これは難しいんですか?んー、どうでしょう‥‥。専門外か。ちょうなを使います。道具名を教えてくれる。それは調べてきたよ。わたしは黙って学芸員を見た。

ふと見ると夫は竹好きだった家人が随所にあしらったという竹材をしげしげと眺めている。窓には外側に径の揃った細い竹がみも美しく囲んでいる。だがしかし細い竹のその一本一本に鉄柱が仕込んである。この家が建つだいぶ前には家人の従者が暗殺された。内戦の動乱を生きた人々の家なのである。

二階の広間からは駿河湾が一望出来た。駿河湾に見立てて地元の池が眼下に広がっていた。赤や青や黄色。この日は色とりどりと貸しボートのワカサギ釣りが盛況である。

f:id:fridayusao:20161211063026j:plain

帰りがけ上がりかまちに殴りを見つけた。写真を撮っていたら「どちらからいらっしゃいました?」学芸員が夫に尋ねた。やれやれ挙動不審の妻に今日もご苦労さんだ。