悲しむこと

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スピッツ'ロビンソン'


まだ十分に生きられる人が自ら命を絶つことを自殺という。私が35歳のころ私は印刷屋でアルバイトをした。手書きの原稿をタイプしてデジタル化をしたり、写植凸版印刷の間違いを探す仕事である。私には小説家の友人がいてある時私は彼が書いた少し長い小説をタイプする仕事に取り掛かったがその仕事はお金をもらわなかった。顔見知りの作家が自殺をし友人は追悼と称して彼の思い出を小説として書き綴ったからだった。2時間タイプしては休憩を挟んだが私はその仕事をきっかけにして次第に脳を壊していったように思う。


小説の中で死んだはずの彼が私に語りかけるのだ。オマエも死にたいんだろう死んだら楽になれる欺瞞に満ちた隣人たちに復讐をしてやれと彼は夜昼無く執拗に語り続けるのだった。私は時間を取って作家の友人に全てを打ち明けたがそれはとても勇気の要る事だったしそれが正しかったのかどうか今もわからない。作家の友人は思っていた通り私を好奇の目で見、僕にはそんな声は聞こえないがねと笑った。次第に私は孤立していった。


自殺は暴力の一種だ。おかげで私の心は今だに流血し続けているのだ。自殺の暴力は乱暴に連鎖して私は死ぬまで怒りに満ちた脳の声たちと闘い続けねばならない。暴力に打ち勝つものがあるとすればそれは理解と寛容、敬意と優しさ。私は彼を可哀想に思っては彼と討議し続けては疲弊してゆく。貴方は悪くない。貴方は精一杯生きた。朝が来て起き上がっては今日も一日を生きようと思うのだ。死ぬの反対は生きるである。