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大橋トリオ'lady'
1914年冬フロインドリーブはドイツ軍捕虜として青島から日本に連れてこられたがフロインドリーブはパン焼き、カール・ユーハイムはお菓子作り、ローマイヤーはソーセージ作り。民間人だった彼らは志願して捕虜となった。捕虜たちのドイツ食のために日本に来た。
当時中国大陸の青島はドイツ領だったが英国の参戦により同盟国の日本も参戦、この時が日本軍が初めての空中戦、残酷にも空から砲弾を落とし町を焼き払うことをした。4800人のドイツ人が日本に連れてこられた。名古屋港近くの収容所に来たドイツ人はおよそ400人。
モリタなんとかという常滑でビールを作っていた人が敷島パンの会社を始めたが収容所にいたフロインドリーブにパン焼きを教えてほしいと頼んだのはこのモリタという人だった。1920年。そのすぐ後に関東大震災。
ユーハイムとローマイヤーとそれから名前は思い出せないけどもう1人の捕虜だった人は震災の日には既にヴェルサイユ条約で解放され、3人のドイツ人捕虜は銀座で洋食を出すカフェをオープンしていた。そうして震災に遭う。
敷島パンのモリタが震災の東京へ救援物資として大量のパンを輸送した。当時の日本人にパン食はまだ馴染みは薄かったけれどパンはカビないし手の中に入る。コッペパンは配り易かったとどこかで読んだ。
バームクーヘンとパン焼きとソーセージを日本人にプレゼントしたドイツ軍捕虜たちは日本の敗戦で本国へ強制帰国させられたがほとぼりが冷めると妻子や友人が待つ日本へ戻ってきた。
数年前私は初めての神戸。三ノ宮のフロインドリーブでパンを買い、元町のユーハイムでグラタンを食べた。