多重人格NOTE その3 脳の中の壁

ナルコレプシー

二人目のわたしの主治医もまた内科の開業医であった。年齢はわたしの一回り上。彼はスキーの上級者であった。初診日、彼の右腕は肘から先がギプスで覆われていた。雪山を滑っていて滑落、骨折したという。

転院して間も無くわたしは高熱を出した。40度の熱が一週間下がらない。抗生物質を次々代える。入院はしません。わたしは譲らない。わかりました、これで熱が下がったら内視鏡するって約束してください。主治医は穏やかにわたしを諭した。

熱が下がり内視鏡をした。癌は見当たらず我々はひと安心だった。

二週間に1度、午前の診察のラストにわたしは診察の予約を入れていた。わたしのあとに診察を待っている患者はひとりも居ない。わたしたちは時間に妨げられること無く話すことが出来た。わたしが依然として精神科を拒んでいたために主治医が考え出したシステムだ。

わたしは筋書きを書いたレポート用紙を見ながら話す。そうです、ナルコレプシーではないかと。

彼は初めの開業医の友人であり、従ってわたしを多重人格だと信じている。一方わたしは多重人格について調べれば調べるほど自分は当てはまらないと感じていた。

シュナイダーの一級症状というものがある。分かり易い症状のひとつは脳の中の声。わたしは解せなかった。脳の中の声? 誰だって脳の中で何かしらの声はするはずだ。脳の中で声がするからそれがなんだというのか。脳で声がしてなにかそれが困った事態を引き起こしたことなどはないのだから治療の必要はない。

ナルコレプシーねえ‥‥。主治医は左手で不器用にPCのキーボードをパチリパチリとやりながらぼやく。

その後、わたしが解離性同一性障害として日常に支障を来たした初めての事件が起きた。その年の春次女が高校に入学、オリエンテーションに付き添ったわたしは説明会の会場で失神した。目覚めた時、わたしに失神以前の記憶が無かった。自分がどうしてこの場所に居るのかわからない。

若年性認知症。わたしは考える。

数日後主人が主治医に会いたいと言う。何?何を話すの?主人はわたしの目をじっと見る。覚えてないのか。主人は眉間に皺を寄せて黙りこんだ。

主人が主治医に語ったエピソードは驚くべき事柄だった。前日の夜わたしは主人に暴力を振るったという。抵抗する主人を壁に追い詰め脅した。その時の腕力と声はまるで中年の男だったと主人は主治医に語ったのだ。

翌夜には目が覚めるとわたしは暗い洗面所に倒れていた。裸で手には出刃包丁を握っている。すっかり怯え切った主人は傍らで呆然と立ち尽くしていた。幸い私たちにはどちらにも怪我は無く警察沙汰にならずに済んだ。

内科医は精神科医宛に長い紹介状を書いた。わたしは自分用の紹介状のコピーを願い出た。貴女が読めばショックを受ける表現もあるが読めますか。読みます。わたしは譲らない。

待合で名前を呼ばれる。カウンターの扉を開けて後ろで髪をひとつに束ねた、若い背の高い女性の看護師が分厚い紹介状の封筒をわたしに手渡す。両手で、まるでそれが何かの表彰状でもあるかように。

わたしの脳の中には壁があるようだった。壁ではないそれは高い塀だ。上空で空が繋がっている。だから塀ではないフェンスのような区切りだ。わたしはわたしを呼ぶ声にもうずっと気付いていた。懐かしい。切なく胸が痛むあの声だ。

それは秘密の声。

念入りに仕舞われた秘密の声。

誰?

わたしはコールし続けた。