文脈

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セロニアス・モンク「モンクス・ポイント」

 

ニュウナイ・スズメを見つけるのは難しいでしょう?バーダー仲間が言った。難しいけれど見分け方が最近わかってきた。

 

食べ物探しに忙しい初夏の繁殖期。番(つがい)のニュウナイたちの見分け方は、ひたすら見る。辛抱して見続ける。それしかない。明るい日差しに照らされたニュウナイは色合いがわからないことが多い。わからなくても簡単にはあきらめないで毎日見続ける。逆行のシルエットのニュウナイは細身である。

 

センター試験の現代文問題。生徒さんを見つめてわたしは言った。如何に速く、如何に正確に読み進むか、攻略法を教えましょう。ていねいに読む。舐めるように読む。わからなくても簡単にはあきらめない。

 

ニュウナイ判別の暁は砂漠で地下水を掘り当てたみたい。すごく嬉しい。攻略法が近道であるとは限らない。惑わされ煙に巻かれ途方にくれてもあきらめないで食い下がろう。文脈はあるから。

 

 

前座

少し前から週1で駅ピアノを弾いている。誰かに頼まれたわけでもなく駅ピアノを弾くことが楽しいだけなんであるがギャラリー常連さんとも仲良しになれるのが良い。数日前私がたどたどしく昭和歌謡を弾いて常連から拍手をもらい恭しく挨拶を終えるとコンコースから颯爽と若い男性が現れた。

 

彼はそれはもう優雅にジャズ風のポピュラー曲を弾いたんである。なんていう曲?知らない。聴いたことあるよね。ひなびた駅ピアノのちっぽけな寄り合いには勿体ないようなパフォーマンスに常連らは戸惑う。美しいピアノの音色に涙ぐむお年寄りもいる(感情の抑制が効かない)。

 

彼はそれはもう爽やかに挨拶をすると去っていった。平日で電車も少なかった。沈黙の駅ピアノ寄り合い衆のひとりが言った。あんた何か弾きなよ。わたしは岡村孝子「夢をあきらめないで」を渾身の思いで弾ききった。カタルシスなコード進行にお年寄り1名はまたも涙ぐむ。

 

わたしが弾き終えるや先ほどの若い男性が舞い戻り近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」をジャズアレンジで弾き始めた。マッチだね。いい曲だね。歌い出す者も出たほどであった。

 

若者が去った。あんた何か弾きなよ、あの人また戻って来るよ。よし、何弾こうかな。わたしはテレサ・テン「時の流れに身を任せ」を弾いた。テレサ・テンは難しい。弾くのを辞めてひと思いに歌いたいくらいである。しかしここはスナックではない。駅なのだ。

 

しかし若者は戻らなかった。そりゃそうだ。いくらなんでも電車乗ったよね。うん。

秀吉

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スピッツ「名前をつけてやる」

 

毎朝5時から1時間公園を歩いている。7月末までHuluで「男はつらいよ」が観られるのでどの回にしようかな、と考えながら歩いていたら、ふと寅次郎が友達の赤ん坊に「秀吉」と名前をつける回を思い出した。

 

すまけい、イッセー尾形五月みどり。好きな人達が出ていた(脳内再生at公園)。

 

「誰よ!秀吉なんて名前つけたのは!」美保純が嘆いた。「この子の熱が下がるなら私はこれから男を絶ちます」この夜秋吉久美子は失恋をした。

 

講師の仕事を始めて網野善彦を読みたいと思っていたらなんと本棚に1冊あるではないか。主人に尋ねると「おすすめに上がってきたから」という感じで購入したらしい。

 

なんと。

 

わたしは秀吉は全然好きじゃない。最近はもうヤス(徳川家康)もイトウ(伊藤博文)にもさしたる魅力を感じない。脳内は今中大兄皇子である。白村江の戦いなんである。

 

歩いていたらアメリカの友人から本日のレッスンのキャンセルの連絡が来た。彼女に英語を習っているがエグい時差でレッスンは早朝6時なんである。

 

開放されたマインドで公園でこれを書いている。

 

井戸水(いみず)増しこのごろ苔の色まさり

 

数日前季寄せで見かけた俳句を思い出す。

 

今年も夏至をのりきったんである。

 

イェイ。

 

青空

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福山雅治家族になろうよ

 

その女性はいつも前に進んでいた。誰かを断罪したり何か不平を言ったりしても良さそうなときもそれをしなかった。不足の多い事態でもベストを尽くした。

 

夫は戦争で脳をやられてときどき出奔していなくなってしまう。彼女は夫を探しあて、夫としてそして父親として(彼女には小さい男の子が一人いた)の責任を果たす機会を彼に与えた。そうして男の子が自分は父親に愛されているとだと信じることが出来るようにした。

 

彼女は腐らなかった。海に面した小さな町から何時間も汽車に乗ってはその都度夫の居場所を突き止めた。彼女は時に行商人として移動をしては男の子をお父さんに会わせる。故郷の何かを夫に届ける。

 

ある時夫は知らない女性と新しい世帯を持っていた。彼女はその女性を家族として男の子に説明した。そして折り返した。海辺の町へ帰った。長い長い汽車での帰り道、彼女は汽車が線路をひたすら走るが如く前に向かって帰路を征く。

 

そのとき私は二十歳だった。わたしは彼女に強い影響を受けた。わたしは結婚もしておらず、お腹に赤ん坊がいた。誰一人わたしに祝福の言葉を掛けてくれなかった。しかしわたしはお腹の子を産もうと決心した。

 

大人は子どもに対して大きな責任がある。大人は子どもに愛を与える責任がある。守備良く事態は進展せずともその責任をけっして逸してはならない。それがとてつもない大仕事だとしても絶対に諦めるべきではない。

 

わたしは象徴としての汽車に乗り、駅をひとつ、またひとつ進むようにして未熟で不足の多い親としての一歩をそうして踏み出したのだった。

シャボテン

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「違う世界があったから救われた」spitz

 

シャボテン活動覚え書。シャボテンラーメン実食日迫る。怯む。時期尚早の旨書き送り延期とした。シャボテンショップで口車に乗せられて買ってしまったメセン。これは直径1センチ。小さいが千二百円した。リトープス属は冬型で、飲水も室温も風もひんやりを好む。多肉もシャボテンも胴体は葉緑素で緑色。茎や葉の境界が見られない多肉を高度多肉と呼ぶがこの子は高度にイノセント。クロロフィルジェルのレンズで光を取り込み光合成をする。地中は繊細な根をぐんぐん伸ばしている。

 

 

 

渥美半島の付け根の大西貝塚の論文を読む。タチヤでハマグリの現物をしっかと見たり。猛暑の中、友人とミニストップでソフトクリームを食べた。彼女は年嵩の大姉さん。三重県の海岸近くで育った人。子どものときに、これからうなぎの稚魚を取りに行くけん、留守番しとってな、ゆうてお父さんとお母さんが真夜中に漁に行くやん、うなぎの稚魚はすごいお金になるやん、ワクワクしてな。姉さんは笑う。わたしも笑う。

 

 

フィリピンレストランでバナナケチャップ煮込みを食べよ。マニラサウンドを聴く。鳥取のお土産の砂チョコ美味しかった。あと1ヶ月お小遣いもう無くなっちゃった。8月は千葉へ行くよ。幻視の説明。わたしの場合はドンマイみたいな感じで幻視が現れるよ。ひとりじゃないよ、みたいなね。

 

 

 

ハンバーガーの正解

 

 

 

 

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ガオガオ

 

長く生きてるといろんなことがある。アメリカ人の親友が自分は本物のハンバーガーしか食べたくはないというのだ。果たして本物の寿司というものが確かに存在するように、どこかに本物のハンバーガーがあるように思えてきた。私にはマックの厨房で働く友人がいる。てことでワシはまずはマックのハンバーガーを味わって食べようかなと思うんだよね、と伝えたところ、タッタは終わった、とシーズンバーガーのお知らせが届いた。

 

 

毎朝必ずBTSのダイナマイト(レトロリミックス)を聴き、英語の書き取りをする。レトロリミックスの次はダイナマイト(アコースティックリミックス)を聴く。そして再びレトロリミックス。レトロリミックスのバシバシ云う太鼓が、私の脳内に溜まったダスト&ダートをその強い振動でふるい落とす。それを確認してすべての音を止める。

 

 

週に何回か中津(大分県)在住の友人と電話で話す。レビー小体型認知症の幻視の説明を求められ、なんやかんや説明をした。私はレビー小体型認知症の診断は受けたことはないが、まあでも幻視と幻覚の違いについて主観的官能的にそれなりに説明出来たかな。レビー小体型認知症は進行するけれど私の幻視は衰退していった。幻視について誰かに話したいときは百パーセント寂しさを抱えて打つ手がない日だった。幻視は自明の日常だった。だからそれなりに日常が満たされていれば視える視えると大騒ぎする必要はなかった。

 

 

アサモトという人の本のハンバーガーは「ブリオッシュバンズ」で「ローストビーフ」を挟むとある。唸る。ハンバーガーの正解ってなんだよ。考えてみれば毎日マクドナルドは嫌だな、と思うときのマックのバーガーって同じ味、同じソース。ハンバーガーにも濃淡グラデーションがあるのかもしれない。たからタッタってなんだ。チキン竜田のこと?

 

 

少し前になるけどレイチェル・クーの料理本を買った。口の中で混ざるんだし、と言いたげな酷いビジュアルのレイチェル風モンブランや、塩味のフィナンシェ、カロリー増し増しのチーズマカロニなど。読むだけで頭の体操。楽しい。オーブンを買う夢を見た。

 

 

夢と言えば久方ぶりの胃カメラの数日前に胃カメラの夢を見た。夢の中、私はカメラの尖端にいて総胆管の狭窄をモニター越しに伝えていた。ステント留置。ステントなんてどこで見たんかなワシ。めちゃめちゃ薄いピカピカ銀色、チタン製の結構大きなバイプを自分で自分の総胆管にセットした夢だった。まあ自信満々で目覚めたけどさ。

 

 

胃カメラ当日総胆管の狭窄は無かったし、なるべくゲップしないで、って言われたからなるべくってことは一回くらいは許されるかな、と出るママにさせたら「我慢して!」と怒られたし。バカリズムそっくりの技師さんでした。ふん!ふーん!

 

ラー油そば

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BTS (日本語バージョン)

 

友人らが以前から欲しかった高級万年筆をくれたので嬉しくて毎日使っている。筆記体記述のメリットは多いがひとつとしては単語のスペルを間違えずに書き切るんだという気合いが継続することである。

 

ひたすら否定表現に悩まされる。何度か文章を書き替えるうちに最初の文体に戻ることに。振り切った心、本当に言いたいこと、抽出されたエッセンセンス。美しい骨のカーブを高速で進むかのような英文のフォルム。

 

1日じゅう紅茶をがぶ飲み。この次はこれ、と紅茶をストックするようになった。余裕があるときは濃い目のアッサムティーでアイスティーの素を作ったりする。ミルク入りだし甘いのでお腹を壊すよ。

 

パクジミンのカムバック曲が全く詰まらなかった。ダンスもする、歌も歌う。だけどプロデュースは他人がすることには少しの意味がある。自分で思うところの自分らしさなどを野心たっぷり見せつけられても快いものはなにもない。私は素朴なジミンが小さな体で踊っていればそれで十分だったんである。

 

ルーチン検査のために病院を転々とする。ロスタイムだからこそのプレーもあるんだからね。負けないぞ。実際私自分で思った以上に頑張っている。だから疲れちゃう。ジミンの野心とかって結局は自分のことだったのか。

 

初期のBTSを聴いている。日本語バージョンの素晴らしさ。メロディと日本語がビッタリとマッチしてる。何回聴いてもラー油そば、ラー油そうめんって聞こえるので詳細について友人に書き送った旨、未だ返信は来ず。まあいいか。