サニーアフタヌーン

17歳の私がキンクスを聴いている。ユーリアリーガットミー、セットミーフリー。ビートルズストーンズよりもキンクスが好きだった。今でもサニーアフタヌーンを聴くと濃い郷愁に囚われる。税金が払えない〜、と歌うこの曲。当時はなんでこんな歌詞なのかを深く考えることはなく、何度も繰り返し聴いていた。

私の交代人格の多くは音楽が好きだ。私の脳内ジュークボックスにはありとあらゆるジャンルの曲が用意されている。今もたまに家族でカラオケに行くが、私は北島三郎に始まり、古いところではブンガワンソロ、最近はKPOPも歌う。たくさんのメロディとともに抱えきれないほどの心的景色がPVのように現れる。

私に音楽を刷りこんだのは父である。しかし父について語るのはむつかしい。今は全く音信不通となっている。父の性格、父の好み、それらを取り込んだ人格が脳内に存在している。交代人格のすべてが好ましいわけではないが、DIDは重要人物から逃げると同時に極端に理想化する。脳内人格はもはや怪しげな別物だ。

実際の私の父はどんな人だったのだろう。

神経質で吝嗇、頭痛持ちでおそらくコミュニケーション障害を持っていた。家族の成員の何かを引き受けるには力が足りなかったのだろう。自制が効かず、気分の変動が激しい一面があったが、父の周囲にはたいした武勇伝を持つ強面たちがいた。麻薬中毒、分裂病、暴力団、賭博で実刑、路上で自死。5人か。いや、もっといるか。父はその中にあって、子どもの私にはまだマシな人間に思えた。

母は父を病的に嫌っていた。そして私の顔が父に似ているという点で、私の存在が我慢ならないのだった。母からの虐待はそこから始まる。しかしながら顔だけではない。もっと多くを私は父から受け継いだ。たとえば父は太宰治に深く傾倒して下手くそな短い小説を書いていた。その後ろ姿を覚えている。バロック音楽に取り憑かれており、貧乏な家の片隅では一日中小さな音でオルガン曲が流されていた。もちろんこうした音や景色はたいてい唐突に始まる大喧嘩でかき消されるのだが。

私はピアノの鍵盤の音を言い当てることができるが、そうした12音の絶対音感はこうした環境から得られたものだ。そして思春期になるころには家中の本をほとんど読んでいた。何故か名前が出てこないのだが、ほら、日本中を旅してた放浪の俳人。だれだっけ。分け入っても、分け入っても、なんとかって書いた、あー、忘れたな。丁度いいや。もう忘れよう。その人の本を読んだ時は本当に衝撃だったんだよね。

なんかしんどくなって来た。

キンクスに戻ろう。

なんで税金払えなかったのかな?

可哀想。