ぞうさんダンスでさよならモスクワ

「ぞうさんダンスでさよならモスクワ」は田中りえという人の書いた本だ。疲れてヘロヘロな時にはこれを読みたいと思うのは、たぶん田中りえという人の文章の巧みさだと思う。著者はシベリア鉄道に乗る。一人旅の著者の出会いには無理がなく、文章には嘘がない。読んでいるとまるで一緒にシベリア鉄道に乗っているかのような錯覚さえおきる。田中りえさんは去年亡くなった。残念でならない。

今日も走った。飽和状態の脳がジョギングの振動でいい感じに整えられる。走っていると生きているという実感も湧いてくる。朝4時だというのに数人のランナーとすれ違う。挨拶を交わす。数日前は毎日会う新聞配達のおばちゃんが私の腕に付いているiphoneを指差して、アンタこれなに?ときいてきた。これ?距離が出るんだよ。私もしばし立ち止まり雑談をする。

走るために、それから脳内を健全に保つために良質の睡眠は欠かせない。夜10時から2時までは必ず眠ることにしているが、眠剤を使っても調子が悪い時は中途覚醒してしまう。睡眠不足の日は走らない。それが決まりだ。だからちゃんと眠れるかどうか毎日心配だ。

先週再び激しい頭痛でブロック注射をした。整形のドクターは精神科治療について何かいいたそうだ。私は数ヶ月前に少量の眠剤を除いて完全離脱している。精神薬を飲んでいた時はかなり低血圧状態で体が辛かった。

主人の転勤で関東に住んでいた時、内科のからみで大学病院の精神科にかかったが、私はそこで統合失調症の診断となり、大量の精神薬が処方された。私は素直にそれらを服用していた。内科の検査の侵襲度が高く、私は私なりのコンプライアンスを示したかったのだ。精神薬の効果に期待する気持ちも正直あった。内科の症状がひと段落したタイミングで私は近所のクリニックへ転院したのだが、そこでも大学病院の診断は揺らがない。トーシツ。かなり話せる感じのいいドクターで、脳内マップなどの説明をふむふむと時間をかけて聞いてくれた。しかし薬が多くて体が辛い。それを訴えたが薬をはずすという選択は出来ないと言われた。

2年前、主人の転勤で再び地元の初診当時の精神科に戻った。エビリファイセロクエルデパケン等々。たくさんの薬を飲んでいる私に主治医曰く「こんなもん覚せい剤やで」。正直私には不安であった。覚せい剤なら離脱症状も怖い。4年近く飲んでいたのだ。決めるのは私だ。悩んだ。減らす。そう決めた。しかしゼロにするのはまだ怖い。特に眠剤なしでは眠れないような気がするのだ。

トランポリンを始めたら眠剤減らしてみようかな、とか今は考えてる。なんだ、ちょっと、それトランポリンしたいだけでしょう。いやいや、なんでも極端なのは良くないよー。眠剤はやっぱいるっしょ。

だけど、フラッシュバック、頭痛、睡眠障害。この連鎖から抜けられるならなんでもする。ドーバー海峡を泳いで渡ったっていいよ。いやいや、それ、ただやってみたいだけでしょう。しかも泳げないくせに!そうなんだよね。私、泳げないんだー。基本水に入ることが苦手なのだ。ところが来週4歳の孫と市民プールに行く約束をしている。スノーケリングの経験はあるからひととおり水着やなんかはもっているが、おばあは泳げないのだ。浅いプールでジャバジャバしてよー。

頭が今は疲れているけど、良くなったら小関智弘が読みたい。町工場の旋盤の話だ。あー、栗コーダー飽きてきた。ていうか怖くて聴けなくなりました。

困った困った。