診察日(2015年5月)

翼をください」という歌がある。友人とカラオケへ行ったのは月曜の夜だったか。カラオケではなるべく明るい歌を歌うよう心掛けている。

翼をください」を歌いながらわたしは考える。人間は飛べないからこそ人間なのだ。窮境に面するたびに現実から逃げるなどしていては進歩が無いではないか。

なぎら健壱は名曲「フォークシンガー」で「戦争でも起きなきゃフォークシンガーは儲からない」と歌い上げた。「白は白、黒は黒」、それが通らぬ理不尽に対するプロテストソングとしてのフォークソングだ。

わたしは解離性同一性障害だ。

わたしがフォークソングを歌うと気持ちが良いのはそんな理由だろうなとずっと考えている。

解離が生じる瞬間そこに思考は無い。解離は生理的な反応である。貴方は解離性同一性障害という病気ですよ、と言われた時にまず考えたことはたったひとつだ。

何故いま不調が現れたのだろうか。今までは上手くやって来れたのに。

診断から15年くらい経つ。投薬治療、カウンセリング療法、筆記療法などがわたしの試した治療法である。そしてこの1年間で脳内状況は劇的に変化した。

わたしは精神科の専門家ではない。専門書と呼ばれるものもおそらくはしっかりとは読めてはいない。だから脳の病気はこう、精神の病いはこうと類型する技量も資格もないが無くて結構、いやそんな統計など日常の何の役にたつか。そこは譲れない当事者のみぞ知る複雑な思いを逆に持っている。こうしてブログなぞ書いている。わたしはわたし自身の専門家に成りさえ出来ればそれで上等、それ無しに治療法云々を語るなど筋違いであろう。こうしたあぶくの様な言葉は主観の域を出ることは無い。

解離性同一性障害の人生は戦争に似ている。わたしは戦闘を続けていたのかもしれない。マリ、ウサ男、エルの撤退には大きな意義がある。それは和平だ。

解離はあたかも翼のようにわたしを窮境から逃れさせたかもしれない。しかしわたしはそうして絶望を保留し、先送りし、前倒しし、未来に待ち伏せさせた。

間抜けな時間差でわたしを捉えるこの絶望に打ち勝つのに専門家も専門書も要らない。そんなことをしみじみ思うのだ。

今日はどう?

今日は診察日。精神科の診察室で白衣姿のなぎら健壱がわたしに尋ねた。

わたしは即答出来ず深呼吸する。

そりゃ苦しいよ。だってわたしは解離性同一性障害だからさ。5月のトラップだよ。巧妙に仕組まれた時間の罠に捉えられてはいるが、けして単独では無い。パトリックもジョージもフライデーもみな同じ思い、いざこの絶望を乗り越えてみせようぞ。わたしはそんな気持ちだった。

ウクレレ買おうと思ってさ。

C、Am7、Dm7、G7、Em。

力強い感じのBGM。

あ〜俺たちは〜幾つもの木彫りの熊を〜彫った〜。変な歌。歌ってるのは誰だ。

あのね、来週から北海道旅行なんだよね。

ほうか。んじゃ、薬、出しとくよ。

ありがとう。

生きるべし。

うん。生きるべし。