新潮社 吉田秀和「之を楽しむ者に如かず」

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誠文堂新光社「原色 木材加工面がわかる樹種事典」p96「ミズナラ」を見ている。ミズナラは国産広葉樹材の代表格。写真でしか見たことはないが北海道津別町には樹齢1200年のミズナラがある。幾度も山火事を生き抜いてきた強者だそうだ。

ミズナラは標高1000m以上の山でなければ生えない。高い山であれば本州でも九州でもミズナラを見ることが出来るとある。欧米ではミズナラはジャパニーズオーク。そして広葉樹材の断面には道管と呼ばれる水分の通り道跡が点々とあり、ミズナラはその特殊な道管跡から環孔放射材と区分される。

「柾目に虎斑が出る」の柾目というのがイマイチわからない。虎斑というのは模様らしいが写真では見えないのだ。わたしには見えないだけなのかな。広葉樹材はこの道管跡があり塗料が染み込み易い。

今週は忙しい。明日は役所で引越し先の鍵を貰う。金曜日は木工教室。とうとうこの日が来た。自分か木を彫るということ以上に木工を日常とする大人に会えるということがまず嬉しい。ここは慎重に。くれぐれも変な人だと思われないように気をつけなければならないぞ。とにかくおとなしくして居よう。

今日もまず村尾行一「木材革命」(農山漁村文化協会)を読む。行きつ戻りつメモを取りつつである。この本は本全体が目次である。こむつかしそうな字面に反して大変親切な一冊である。

近代日本は林業において今ひとつであったとある。経済重視で木材生産の畑としてしか森をみていなかったらしい。森尾によれば森からの公益とは人智在りきの森林経済論とは別次元にありそれは森から無償で提供されているとある。

だから森から得られるものは木材だけではないのだ。ドイツでは「森林立ち入り権」というものが憲法でみとめられている。住民には森林レクリエーションを楽しむ権利があり、その要望に応える形で森林経営が成り立っている。木を切り出す行為と森を保存するなんやかんやには相通じる確固とした内的規範が存在する。つまりドイツではやったらいかんこと(森を壊すことかね?)を大人も子どももみんな知ってるで、ということなのだ。

興味深いことに江戸の林政においてもこのイギリスでいうところのフットパス的な森林立ち入り権の自由は認められていた。日本の場合のそれは『それがたとえ私有林であっても公営林であっても見上げてホッと出来る巨木を誰でも拝みに来てもいい』というものだった。

実はそれをどこで読んだのかがわからない。どこに書いてあったのかを探している。

経済とか公益とかむつかしい理論が既に徳川にあったとはとても思えないのだが。それでもこのことは大変興味深い。それは森に入るヒトを敬虔にさせた要因そのものが森林にあるという証拠とならないか。森と対峙したヒトの心に生じるあの畏敬の心情は国境も時代も超える共通の内的規範だった。

360度の森林で沸き起こる内的規範はきっと強いものでそれは長く深く心に根ざすものだろう。

ワーグナーを聴き始めてから吉田秀和の本を読み始め、どうしても一冊欲しくなりこれを本屋さんで〜、店頭で〜、定価で〜、買った〜。有りえへん。ここ数年Amazonワンクリックで安い古本ばかり買ってたのに。

吉田秀和が好きなんだな。本当はおじいちゃんがどストライクなんじゃねえのかよ。何故に毒づくパトリックや。

先週末はリサイクルショップを3件ハシゴして厨房用品をいろいろ買った。アルミの急須とステンレスポットとオイルポット。この他には用途不明特大の四角いステンレストレー。豆腐屋さん出来そう〜。わーい。

ワーグナーに飽きた子ども人格はバリーグレイオーケストラがバーバリックな太鼓のオープニングを打ち鳴らす人形劇「スティングレー」のテーマを聴きたがる。聴いてみる。

本当この太鼓いいわ〜。

てか半魚人叩いてる?

バリーグレイ、よかったらどうぞ。

http://youtu.be/kNt6fTzESBY