視点

https://open.spotify.com/track/6oePkTKsV8MnFCPX1eiyok?si=sMdaf7m5S5iDi8Ani2LQdw

ホフマンの舟唄

 

 

 

「作家って、時々自殺する人が居ますよね」その若い男性は歩くのやめてポツリと呟いた。「どうしてなんですか」彼は憤懣を込めてそう言った。

 

 

「生きていくことになんの魅力も感じられなくなっちゃうんです」「それは絶望ですか」彼は絶望を本で読んだことがあるとでも言うような口ぶりだった。

 

 

「絶望、そうですね。でもその結論は誤りです」絶望は独り善がりの自惚れだ。絶望は自己中心的なわがままだ。絶望は浅はかで愚かな感傷だ。脳内で声がした。

 

 

「誤り、ですか」彼の誤り、という言葉の響きは、まるで答案用紙に書き込まれた誤りのようだった。わたしは彼の顔を見た。白髪の混じった鬢の髪は床屋で手入れされたばかり。ずんぐりとした肩に重たそうな丸みのある顔がのっていた。

 

 

「答えが不正解だということに、作家は気付くことが出来ません」わたしはぎゅうっと胸が締め付けられた。それが難しいのは何故か。脳内の声にわたしは微笑んだ。「自分の真実のこゝろを知る。そしてそれをきちんと……」「打ち明けることですね」彼が返した。「いや違います」わたしがそう言うとこんどは彼が私を注視した。

 

 

「真実を打ち明けるなんて出来ない。それが出来ないんですよ」「打ち明けるべき人がいない」「そもそも打ち明けるべきことだとは感じられない」「打ち明けたいなんていうふうに思ってないからな」我々は苦笑した。

 

 

「楽器の演奏みたいなものかもしれませんね。沢山練習しないとなかなか思ったようなきれいな音が出ないから、もう弾くのを辞めようって思ってしまう。上手に喋れないとなんかもうすごく不安なんですよね。だけど作家は違う。物語を通して文章を構築して何かを伝えることに長けていますよね」彼の声は笑って居るようにも聴こえた。

 

 

「もし貴方が作家だとして、真実を伝えようなんて思ったら、逆に何も書けなくなりませんか。ありのままを書いたとして、表面的に伝えることしか出来ない。物語にもレントゲンやCTを添えられたらいいのにな」

 

 

「専門家しか読めない」彼は笑った。「誰かが誰かの専門家になることって出来ると思いますか」わたしは彼に尋ねた。信号が青に変わった。我々は歩き出した。

 

 

「出来るといいな」と彼が言った、と同時に「出来るわけ無い」とわたしは言った。