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fridayusaoのブログ〜丘の上から

統合失調症でDID、読書と音楽鑑賞の日々の徒然。

木彫り熊紀行⑨スピッツ「野生のポルカ」

昨日朝一で北大図書館の北方資料のコピー。日本の馬の在来種の資料など。学食で激辛麻婆丼小333円を食べ、歩いて北大ボタニカルガーデンへ。

もう北海道は秋が来ていて花はない。何処かで読んだことのある名前のかたちの奇妙な草を幾つか見る。

「この木はどこにありますか?」突然話しかけられた。黒人の女性だった。小柄で小顔。

「これなら北方植物エリアですよ」

北はノース。北方は?ノーザンか。ノーザンエリアはボタニカルガーデンの西の方にあるからちょっとややこしいな。わたしは持っていたパンフレットを手渡しブロークンな英語で対応する。

そして再び独りカナディアンガーデンエリアを歩く。ふと人の気配がして振り返ると先ほどの彼女が笑顔で立っていた。

木はありましたか?no、もういいの。それよりこの辺でランチを食べられる場所を知りませんか?お腹がペコペコなの。わたしは時計を見た。2時。ランチにしてはtoo lateですね。わたしたちは笑った。

我々はガーデンを出て赤レンガのカフェへと歩き始めた。彼女はジャズプレイヤー。札幌へはライブでやって来た。あれこれくっちゃべる。国と職は違えど我々は共に移動中という点で一致する。サムデイ、メイビー云々。わたしたちは調子に乗り夢みたいな話を互いにぶちまけたりして。

4時。ホテルでミーティングがあるという彼女を札幌駅まで送り届けハグをしてお別れ。

宿には外人がチラホラ。お帰り、なんだか疲れてるね。そうでもないよ。段々英語に慣れてくるころにこの旅行は終わるのか。なんだかそれも詰まらない。

この旅行では熊彫りとペザントアートについて何かしら自分なりにケリを付けるつもりでいたのだが、まだまだ、まだまだなのだ。全くもって全然進まないのだ。

わたしの北海道は今まだ明治19年頃をうろうろ。宿の居間で大島日出生「青年舎」を何度でも読む。

「年少なる内は不平心の起こり易きものなり。是独立の気象堅からず。全く依頼心の有るに由り生ずるものなり」

これは著者大島日出生の父大島叙蔵の年若き日々の座右の銘であった。当時叙蔵はグループの最年少。力の無さを裁縫やジャガイモの皮むき等の才能で補ったとある。何度読んでも切なくて苦しくなる記述が続く。

明治の始めの八雲町に於いて10歳から14歳の男の子ばかりを親から引き離して北海道に移住させ、厳しい開拓労働に当たらせるという幼年舎制度を導入した片桐という武将は、周囲の反対を押し切り自らの年棒を4割減らして八雲入りした。この武将は我こそはこの子どもたちよりも多大なる苦労をすると覚悟を決めていた。

年少なる内は‥‥を書き記したのはこの片桐という武将だった。寒い、辛い、帰りたいと思う時にはこの言葉を思い出そうよ、と子どもたちを励ました。

まあそれにしてもこの言葉もかなり厳しいよね。

北海道開拓時代、八雲町は徳川の援助があり他所よりは裕福だったということは事実かもしれない。しかし義親と共に北海道旅行をした大島鍛(きとう)(叙蔵の兄)は亡くなった日には多額の借金があった。暮らし向きの傾いた農民たちの保証人としての返済は死ぬまで終わらなかった。そして死んだ時住んでいたのは徳川農場の試験的防寒住居として作られた土の家。小作人として広大な土地を与えられた入植者ともそこは違っていた。自分の土地と呼べる場所は一坪も無かった。

大島鍛は八雲へ来た翌年徳川の援助を得て札幌農学校に後年増設された農芸伝習科で学んだ。

農学校の授業はすべて英語であったらしいが農芸伝習科の授業は果たして日本語だったのか。どっちにしてもめっちゃ勉強したんやろうな〜。

大正9年6月、大島兄弟と長く苦労を共にした同じ八雲町仲間の内田という人がその功績を認められ表彰された。渡島斯民会長からの表彰だから内輪の会合ではない。そこで大島鍛はこんなスピーチをしている。

「私は常に内田君は此れみじめなる予言者と思って居りました。故に内田君の今日までの歴史は少し失礼ではありますが、失敗の歴史であります。(中略)大抵時期尚早であります」

「(中略)内田君を非難するものも少なくなかった。嘲笑したものも多かった」

表彰台の功績者へのスピーチに失敗の歴史とか言っちゃう感じ。大島という人にはユーモア精神があったことがわかる。スピーチはまだ続く。

「(中略)時期尚早というのは之れは我々の方からいうことであって、(中略)我々は徒に惰眠を貪って居るのであります。己に夜は明けた。明けたのである。(中略)内田君の叫び声は暁の声であります」

このスピーチすごくいいなあ。

内田君泣いただろうなあ。

大島鍛さん素敵だ。借金あったっていいじゃん。頑張ったね。こんな仲良しの友人に囲まれてたんだ。きっと幸せだったね。 スピッツ「野生のポルカ」を聴く。 北へ移り住んだ幼い男の子たちは長い年月に渡り野生の駆け足をこれでもかと続けた。

あたしは帰りのフェリーで頑張らなくちゃ。大石勇「伝統工芸の創生」をしっかり読み込んでしまいたい。いやこれほんと堅い本なんだよな〜。

てか、台風来てるし。

メイビー、フェリー欠航ですかい?