開拓の村へ行きました

ブレーメンの音楽隊というドイツの物語がある。宿の居間の丁度今座っているところの壁にブレーメンの音楽隊的なブリキのウォールデコがあるのだが1番下は牛だった。牛の上には羊、そして豚、鴨、てっぺんはニワトリである。

唸る。

さすが酪農王国北海道。

昨日は1日を開拓の村というテーマパークで過ごした。開拓の村は願い出れば無料のボランティアのカイドさんが展示を解説してくれる。早速お願いする。

わたしが見たいのは明治大正に北海道に五百はあったという駅逓(えきてい)。そして札幌農学校関連の建物。あとは徳川士族移住に関する明治の初期の建物なら何でも見たかった。そんな感じでリクエストをする。

ガイドさんはサラリーマンを定年後ボランティアを始めたという男性だったが少々お待ちください、と言って他のガイドさんに色々尋ねている。どうやら広い開拓の村内を歩くに当たりベストなコースを練ってくださっているようだ。ボランティアとはいえ仕事人である。

駅逓ありますよ。ガイドがにっこり。おお、そうですか、それは嬉しい。札幌農学校もごさいます。寄宿舎にご案内出来ます。はい宜しく〜

これはコースから外せないんですよ。そう言ってわたしは開拓使という当時の県庁的な建物に通された。三階建て。木造。エントランスを左へ、階段を登ってゆく。これは再元です、復元ではない‥‥。ガイドさんは淡々と呟く。と言いますと?

火事です。全焼しました。札幌には火事が多くて‥‥。ガイドさんはそう言うとその当時に焼け出され生き延びた当事者であるかのような憂いに包まれた。ふと観ると展示ルームには北海道開拓の歴史モノクロ写真がズラリ。

みんな苦労しました‥‥。ガイドさんが言う。

え?今日こういうコースなの?わたしはしんみりモノクロ写真を一枚一枚黙って見続ける。

駅逓は村の奥にあるらしい。森林を切り開いて造られた村の道の脇には古ぼけた木造家屋が一列に並ぶ。‥‥柾葺き(まさふき)をご存知ですか?柾葺き?いえ、知りません。

柾葺きというのは屋根の造りのことらしい。トドマツが豊富な北海道では開拓当時ポピュラーな屋根だった。トドマツを幅広の数ミリの板状に加工して屋根に貼り重ねる。

分厚い一枚の板に見えた木造家屋の屋根にはよく見るとミルフィーユのように層がある。トドマツは切れ目を加えると裂ける性質があり、加工はそれほど困難ではないが機械ではなく人の手の微妙な加減でなければ表面が滑らかな柾は造れない。

わたしは立ち止まりミルフィーユ屋根を見つめた。ガイドさんが一枚のカラーコピーを差し出す。鉈を手に男性が切り株を薄く裂いている写真だった。

ぎっちりと柾を敷き詰めると熱も逃げませんし、いい屋根になります。でもうちは貧乏で柾を充分に買えなくてね、僕の葺いた屋根は弱くて、登ったら破れました、落ちました、‥‥ははは。ガイドの男性は照れ隠しに笑う。わたしはまた屋根を見る。

トドマツは油分が豊富でよく燃えるんです。こう、火の粉が飛んできたらわーっとね。あっという間家は火だるまですよ。

男性は遠い目をした。

わたしはまた屋根を見る。間違いない。この人は焼け出され生き延びたのだろう。

その時馬車鉄道を曳く白い道産子が私たちの脇に現れた。シャンシャンシャンシャン。涼しげな鈴の音。

みてください!わかりますか、脚、前脚と後脚、同時に出してますよね!ガイドさんが指をさした。

側対歩ですね。わたしがそう言うとガイドの男性は瞳を輝かせた。貴女側対歩を知っていますか。

側対歩を見るのは初めてだったわたしは嬉しくて行ってしまう馬車鉄道を追いかけた。白い道産子がわたしを睨む。

わたし馬の研究もしているんです、あ、馬でなくて、ロバですけど‥‥。わたしがそう言うと男性は嬉しそうに微笑んだ。

実はわたしの専門は鰊漁なんです。よかったら午後は鰊漁を説明しますよ。わたしは了諾した。1日を一緒に過ごして夕方バス停までガイドさんに送られてお別れした。

一期一会。

なーんか旅って感じだな。