祥伝社新書 中村元「水族館の通になる」

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数日前名古屋港水族館へ行った。交通量の多い交差点。車窓の眺め。長女からシートベルトをしてないことを指摘される。ああ忘れてた。

わたしはシートベルトがすこぶる苦手である。言われなければ締めることが難しい。シートベルトというものの存在を必ず忘れているのだ。水族館へ行く経路でふと幼きころの記憶が蘇る。幼き頃。幼き頃(ジャルジャルM1惜しかったね〜)。

昔の景色だ。5歳くらいのわたしが助手席に座っている。ガシャン。交通事故。道路に倒れこんで頭から血を流す人を父と通りがかりの人たちが横にして後部座席に寝かせ病院へと連れて行った。救急車など呼ばなかった。車の後部座席には何日も血痕が残っていた。

その事故の日、ひとり道路脇に残され泣いているわたしに見知らぬおばさんが何か言った。わたしはそのおばさんの家に上がらせてもらったようだ。待っても待っても父は迎えに来てはくれなかった。その時の記憶はそこまでだ。

その事故のあと父が助手席のわたしに言った。もしもの急ブレーキの時には運転席側に倒れ込め。ちょっとやってみろ。ドサっ。幼いわたしはゆるく運転席側に倒れこんでみる。よし。父が言う。前回の事故の時にわたしは急ブレーキでGを受けて跳びあがり、フロントガラスに全身をぶつけたらしい。

父は運転が苦手だったのか何度も交通事故を起こした。事故のあとにひとり警察署の階段に座り、父が入っていった部屋から再び出てくるのを長い時間待っていたという記憶がある。片足をギプスで固め病院の大部屋で入院している父。首を白い筒で固定してわたしを抱き上げる父。免停、取り消し、再取得。父は運転には向いていなかったようだ。高校時代の学校帰り、後ろから来た暴走車に危うく撥ねられそうになり自転車を放り出して転びそっちを見たら大声で怒鳴りつけながら車から降りてきたのが父だったことがあった。まあその時は父もちょっと驚いていた。話盛ってると言われそうだがこれは真実である。

さて、わたしのシートベルト嫌いはどうやら父の急ブレーキのGをしのいだPTSDなのかもしれない。運転席側にドサっでは厳密には間に合わない。わたしは父の急ブレーキのたびにフロントガラスやインパネで肩や背中を強打した。

だからシートベルトをした方がいいという理屈になるのだが、シートベルトをすると今度は身動きが取れないから運転席側へドサっとが出来ない。それこそが怖い。なんなら助手席はもともと怖いのである。

青信号で長女の車が発進した。

父はなぜシートベルトをしなかったのだろう。そしてわたしはなぜそんなちゃらんぽらんな父に従順に従ったのだろう。

わたしはシートベルトをかちんとやりながら考える。わたし自身は19歳の時に自動車学校へ入校したものの「運転に向いていない」という自動車学校側からのお話がなされてのちおとなしく車校を中退した。

クランク、S字、坂道発進。乗れば乗るほど運転は下手になる。とうとうその日停止線で止まるが出来なくて教官に諭されわたしはポロポロと涙を流す。実際にはわたしは車校のなんやかんやを詳しく思い出すことが出来ない。

入金したお金は全額返金されたが、これまでわたしと同じ経験をしたという車校中退ばなしは聞いたことはない。車校の教官はさぞかし怖かったに違いない。

水族館に着いた。わたしは長女たち家族と別れて、ひとりで水族館内のフードコートへ。幼き頃の急ブレーキのフラッシュバックがこれでもかと続き疲れきっていた。フードコートからぼんやり港を眺める。

この中村という人の本は良い本である。

沖縄で美ら海へ行った時にイルカと触れ合うコーナーがあった。わたしは一頭のバンドウイルカと間近で見つめ合い不意に涙ぐんでしまったことがある。

イルカはエコーロケーションという独特の通信方法でコミニュケーションを取るそうである。

つまりイルカは目には見えない何かを感じとるらしいね。

そういうことではない?

ちゃんとシートベルトしろと。

はーい。