貝がら 「にじ」

貝がらはバンド名で、「にじ」は歌の名前だ。今朝はこの歌を聴きながらイングリッシュマフィンを捏ねた。

先週からフォカッチャとか、普通のパンを捏ねている。もちろん毎朝ではない。スコーンしたり、パンケーキしたり、昨日はそば粉でポーポーを作ってみた。

強力粉を捏ねているとべたつく生地がふっとなめらかに、素敵に扱い易くなる瞬間が訪れる。荒ぶる何かが静まるような、悪党が更生を遂げたような。お願いだ、これまでのことはなかったことにしてくれ、とでも言いたげな、何もかもを、水に流してあげたくなるようなモチモチな生地となる。

これはランニング中にやって来るデットポイントのあとのセカンドウインドにもすごく似ている。

パン捏ねは楽しい。

パン捏ねは癖になる。

昨日診察で、兎ならバンビに出てくるキャラクターじゃねえの?と主治医がつぶやいた。

バンビかぁ‥‥‥。

DIDは取り込んだ記憶を想起しない。厳しい記憶は後日絶対に思い出さないようにと配慮される。巧妙に加工される。記憶の神殿の広いリビングの壁の隠し扉の向こうの階段を降りた洞窟の突き当たりの祭壇の上の真鍮の小箱にしまわれており、ハリソンフォードと一緒じゃないと暗号の解読が出来ない。

私の主人は中井貴一似なのだ。

贅沢言うな。

自慢か。

大昔、と言っても昭和のことだが、「パパと呼ばないで」というホームドラマがあった。

貝がらの「にじ」はこのドラマの主題歌だ。たった今検索して判明した。貝がら。貝がら。にじ。

花は何故咲くのいつか散るのにひだまりの中で。

幼い私はこの歌をフルコーラスで歌っていた。

石立鉄男さんはもう死んでいた。

先生❗️私のお父さんは石立鉄男なの。

‥‥‥はーい、おクスリ、もらってってくださいね〜。

子鹿のバンビはかわいいな。この歌もよく歌った。子鹿のバンビが好きだった。記憶の神殿のリビングでは、幼児の私はボロボロの薄い子鹿のバンビの絵本を手にひらひらやりながら、奇妙なダンスをダンシンしている。

ディズニーのバンビの映像はフェイクだ、トラップだ、とハリソンフォードは頷く。

ねぇじゃあ兎は?

さっき捏ねた生地がもう発酵が完了した。ガスがアンモニアに変わる前にガス抜きだ。

ガス抜き?

脳の?

助けてくれよ。

つぎの診察まで1ヶ月。

あー、沖縄のローズガーデンで食べたエッグベネディクト美味しかったな。

作ろ。

なんもかんも忘れよ。