ジュゼッペ・シノーポリ マーラー交響曲第5番

f:id:fridayusao:20160505124858j:plain

 

昨日来客。午前中は旧友、夜は若い友人たち。数日前旧友から突然メールがあった。何かあったのかと心配したが会ってみたら別に何でもない久しぶりに話そうかみたいなことで少しホッとした。お土産の水まんじゅうが保冷剤でひんやりと冷たかった。

 

彼女は友人の友人。もう12年くらいの付き合い、年に一度くらいなんやかんや話す間がら。最近どう?アルミ急須でジャスミンティを淹れた。

 

蛍光灯が点いたり消えたりするのよ、壊れちゃったのね、‥‥家電屋さんに買いに行ったら1万いくらもするのね、‥‥高いわ。初めて会った頃だ。風呂場の壁のカビはどうやったら取れるの?と電話で訊かれたことがあった。浮き世離れというのはこういうことなんだろうな。

 

独り暮らしである。だいぶ前のことだ。わたし転職したのよ、と電話がありフレンチレストランでランチを食べた。彼女はなんと2種免許を取得して介護タクシーで生計を立てていた。帰り道、彼女はダッシュボードに紙コップを置いて、あのね、このコップの水を溢さずに運転するのよ、と上品に笑った。

 

介護タクシーの運転は出来るが蛍光灯の取り替えは苦手なのだ。お昼ご飯食べてく?わたしはササっとスキレットで朝ご飯みたいなキャンプ飯を作った。こんなもの食べたことないわ、と予想通りの笑顔。

 

数年前のこどだ。突然メールをしてやって来た彼女は、もう20年会ってない実の息子と先週会ったのだとポロポロと泣いた。彼女はわたしの一回りくらい年上か。‥‥結婚、してたの?わたしは尋ねた。彼女はぽつりぽつり語った。十代で家出、不倫、先妻の子どもを子育てしながらの出産、そして何もかもを放り出して出奔。こういうのを波乱の人生というのだろう。あれ以来家族の話は一切しないし、わたしも尋ねない。

 

松坂牛の駅弁って知ってる?彼女がニコニコ顔で言った。先月年老いた母親と電車旅行へ行ったらしいが名物の松坂牛弁当を食べて彼女は気分が悪くなり旅館で寝込んだらしい。高齢の母親の方が胃腸が丈夫だった、翌日母親が買ってきてくれた梅干しを食べたら治ったのよと彼女はいつものごとく麗しく微笑んだ。

 

彼女が明るく手を振って帰って行き、わたしは夕方の客人たちの料理の仕込みに入った。

 

マーラーという作曲家は不幸な人生の中で精神を病んだらしい。わたしはなにかでこの交響曲第5番を聴いた時、哀しさよりは強い渇望のようなものを感じてそれがただ美しい曲だなと思ったのを覚えている。

 

こんな経験をした人はこんなことを思うはず。わたしの薄っぺらいプライドは今もまだその類いの思考の匂いを生理的に嫌悪している。

 

最近ある人からちょっとおしえてもらってジュゼッペ・シノーポリを知った。彼のマーラー交響曲第5番は力強い。ながくシリアスな悲劇の渦中をひたすらに突き進む。人間はそんなに簡単には救われるものではない。でも諦めてはいないのだ。

 

ジュゼッペ・シノーポリはなかなか良い。うん、いいですよ。