馬関(下関)砲撃

https://www.instagram.com/p/B-VcrLHpKUo/

https://open.spotify.com/track/0ADmj3r1bSVKQL07cUCxQu?si=iPh6VB0cRseGgxMZ2Kf1vQ

グレン・グールド'マイスタージンガー'


文久(ぶんきゅう)三年の翌年は元治(げんじ)元年。安政、万延。元号がぱたぱた変わる。吉田松陰没、来原良蔵没。死別に見舞われる伊藤博文。そして自らが死罪覚悟の英国密入国とその半年後馬関(下関)砲撃を阻止せんとの決意の帰国である。


生麦事件の下手人たちは天皇から勲章を貰った。新撰組による京都池田屋襲撃の痛手。長州藩はあくまでも従順だろうと伊藤は焦る思いだったに違いない。まさかの英国要人オールコックに直談判をした。


アーネストと伊藤博文はこのときが初対面。心意気だよとブロークンで熱い伊藤のイングリッシュと方や驚くべき日本語力のアーネスト。伊藤はアーネストの二つ年上だった。