泣き笑いのエピソード

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泣き笑いのエピソード


太宰治「畜犬談」を朗読アプリで聞いて不意に無様で弱者だった父の面影がよぎる。父はそれはそれは太宰を愛していた。私が高校を出てから、父は自分が経営する飲食店まで私を送り迎えしては私に労働を強いた。それはごく普通の女給労働だったが、それは私という人間には全く不向きの種類の労働であり、父の飲食店というのはどの労働者も長続きせず、私が働かねばならないことは明白だったが、私は自分の人生にあったはずの職業選択の自由が失われたという絶望感にすっかりおしひしがれていた。ある年、父は2号店を出したが2号店を珍重しすぎて本店が潰れてしまったため、私たち家族は本店の2階の住居を出て行かねばならなくなった。母がこれで引っ越しは10回目と言った。それから数日後のことだった。突然父が言った。それは2号店に向かう車中であった。父は言った。引っ越しが10回になったのは俺が殺した猫の祟りなのだと。父は独身の頃、生家は養鶏を営んでいたが、ある夜同じ長屋の飼い猫が父の家のヒヨコを惨殺した。作家を目指し、定職もなくぐうたら生活をしていた父は隣の飼い猫を袋に詰めて近くのダムに投げ捨ててくるという鬼のような家族の企ての実行係を勤めたという。なんで猫を殺すと引っ越し10回なの。私はぶっきらぼうに尋ねたが父は返事をしなかった。数年後父が家を出ていき、1人になった母にこの話をした。すると母はそんなの嘘よと笑った。猫は翌日には長屋に戻ってきたらしい。母は父本人から聞いたと言った。父は何故私に嘘をついたのだろう。父は太宰治についてよく話していたが「畜犬談」の話は聞いたことがなかった。ダムまで行ったが投げ込むことはしなかった。強健な猫はダムを泳ぎきって長屋に戻った。真相は未だにわからない。にしても引っ越しと猫殺しって関係あるのかな。引っ越し多い人生の責任はお父さん、貴方にあるんではないか。そーだよね。