REDS

「REDS」を観たのは大学一年の初夏の頃だ。「REDS」はアメリカ映画で、ウォーレンビーティが監督、脚本、主演を手掛けた映画だ。原作はジョンリードというジャーナリストの書いた「世界を揺るがせた10日間」。ロシア革命を描いたルポだ。岩波から文庫が出ている。原作を読んだのは30歳の頃だ。ポリシェビキとかの説明がむつかし過ぎて最後まで読めなかったことを覚えている。

大学の学食で私は映画研究会の人からサークルに入らない?と誘われた。話を聞けば硬派なサークルで、月1で勉強会などをやっている。初めての勉強会の課題が「REDS」だった。

バイトや親の店の手伝いで思うほどサークル活動には参加出来なかったが、真面目で勤勉な映画オタクの友人が何人か出来、それなりに楽しかった。

大学は最初半年で断念した。親の店の仕事が忙しかった。店の従業員が辞めたりすると私は何日も大学へは通えない日々が続く。退学したと嘘を付き、休学した。休んでいる間に、サークルの友人から何通か手紙をもらった。こんな脚本を書き始めているんだ、とか、大学に戻れそうか?とか、そんな手紙が嬉しかった。春になったら何がなんでも復学しようと決めていた。

復学してすぐの勉強会の課題は石井相互という若手監督だった。「狂い咲きサンダーロード」「爆裂都市」など。大学の卒業制作で作った映画が評価されたという石井監督はサークルのカリスマだった。他大学と合同で、パルコの催事スペースで監督を招待するイベントをやった。私は打ち上げで石井監督と一緒にがやがや話したことを覚えている。映画監督とはとうてい思えない、自分と変わらない気さくな若い男の人だったので驚いた。

大学は結局復学して1年しか通わなかった。私は長女を妊娠した。結婚には猛反対されたが家を出るいい機会だと腹をくくった。主人は日本人で、由緒ある家柄の後取りだったからそれはもう出産までのいきさつはちょっとしたバイオレンス映画のようだった。石井監督はSFバイオレンスだったけれど、私の場合は現実だ。たいへんだったなあ。父は主人の実家へ慰謝料を払えと電話で凄む。先にやって来た主人(当時20歳)を父は私の目の前で殴る蹴るだった。母は止めに入れないようにと私を羽交い締めにしていた。 よく訴えられなかったよなあ。立派な傷害罪、軽犯罪だ。 私はもちろん泣いたりはしない。お腹の子を立派に育てて、誰よりも幸せになってみせる、ここで逆転だ。私はその夜決意したのだ。まるで映画のようだね。

「REDS」を再び観たのは40歳の時だ。TSUTAYAの100円のVHSのコーナーに埋もれていた。懐かしい。ダイアンキートンのアーリーアメリカンスタイルがおしゃれ。ジャックニコルソンが常識人だ。コネチカット州の海岸で散歩するシーン。挿入曲を今でも覚えている。

バイオレンス映画はもう観なくていいかな。「REDS」のメッセージはこうである。

革命が起ころうとも、戦争が起ころうとも、絆は絶たれない。ジョンリードがもし生き返ってこの時代を知ったらビックリするだろうな。ウォーレンビーティは革命ではなく人間を描いた。すべての人間は解放を待っている。 30年前の5月の結婚のころ、私の身辺はざわついていた。私の両親はなかなか私を家から出してはくれなかった。年が明けて1月になり、主人と生後3ヶ月の長女との3人暮しが始まった。失敗も多くあった。助けてもらいながらの子育てだった。 今年、結婚30周年だねって、3人の娘たちがいろんなプレゼントをくれた。記念日に届くようにと花を注文してくれた次女は私の緊急入院を聞いてお花屋さんに変更の電話しなければならなくなった。結局入院は無かったけど、5月の記念日発作って、結婚記念日の発作なのだね。30年分、ドカーンと、来たのね。

眠くなってきた。 もう寝るか。