多重人格NOTE その1 記憶の二極化

いつか読んだことがある。その小説の主人公は鏡を見るのを酷く怖がるのだ。彼は鏡を磨くことがない。

わたしは子ども時代から掃除が好きである。掃除は母に命じられたわたしのゆいつの仕事であった。朝起きる。服を着替える。雑巾代わりのボロ布を流しで濡らしてまずは拭き掃除。何処を拭けばいいのかとわたしは悩んだものだ。家の中をうろうろしては目についた出っ張りの埃を拭き取った。わたしは掃き掃除もした。子どもの手には扱いにくい万年箒を持て余し、長い時間を土間を行ったり来たりした。

鏡を磨いておくようにと命じられたのはいつの時代からか。わたしは鏡が苦手なのだ。覗き込むとくらくら。鏡に映る白い顔には見覚えがあるのだがそれが自分というものであるという感覚は全くない。鏡の向こうから誰かがわたしを見ていた。

記憶の二極化の最たるもの。わたしは自分の顔を覚えられなかった。

でもまあたとえ自分の顔を忘れたとしても毎日は過ぎて行く。

わたしがDIDとして確たる多重人格の歩みを始めたのはおそらく9歳の夏である。小学三年生のわたしの記憶ははっきり二極化している。母が作って持たせてくれたお弁当の記憶。おかずは甘い卵焼き。手をつないで竹やぶを歩くわたしと母。その対極の記憶にはひとり暗い長屋の三畳間でお腹を空かせビクビク何かを怖がっているわたしがいる。ジェリーという名のクマのぬいぐるみを抱きしめて震えるわたし。

じっさいわたしと母は手をつないだことも無ければ一緒の布団で寝たこともない。母はわたしを疎んじていた。

3歳になる前に捨てられていたほうがまだまともに育ったかもねとある精神科医は言う。長年にわたる悪意の被曝が解離の背景にはある。

今でも時々お弁当に甘い卵焼きを焼く。わたしは母と歩いたあの竹やぶの木漏れ陽と静けさをそんな朝はしみじみ思う。それは偽りだ。それは幼いわたしの脳内に生じた幻覚だった。しかし鮮明な記憶である。わたしの大切な思い出である。

乱雑な何かに安心することがある。めまぐるしく移り変わる車窓の流れ。異なるパッセージが次々に重なり現れるバロック音楽。連合弛緩でとりとめなく続くトーシツ患者の独り言。

わたしは母を求めた。わたしの脳は得られぬ母の向こう側に理想の母を作り上げた。それがマリである。

それはちょっとの孤独。ほんの瞬間の苦痛だ。その夏母はわたしの大切なイマジナリーフレンドであるクマのぬいぐるみをわたしの腕から引き剥がし焚き火に放り込み焼き殺した。

わたしの心には力が無かった。無抵抗無反応。あるのは恐怖だ。次に殺されるのはこのわたしかもしれないのだ。悪意というのはそういうことを意味する。

竹やぶをあるく柔らかな足音。笑い声。風になびく髪。温かな母の手のぬくもり。

恐怖の夜。わたしの脳は記憶を上書きした。

現在わたしは母を許している。根拠はひとつ。母はわたしを産んだのだ。だからわたしはここに存在している。

昨日長かった髪を切った。

今でも鏡は苦手だ。

誰?鏡の向こうから誰かがわたしを見ていた。