木工教室。生まれて初めての木彫り体験。隣では60代の男性が自立するご飯しゃもじを彫っている。自宅で粗方彫ってきて教室で仕上げるようだった。
スプーンは初めは先端の窪みを彫る。彫刻刀は木目に垂直に。上手く削れない。これじゃ耳掃除だ。もっと力を入れて、グッと彫る。声を掛けられる。
窪みがどうにか仕上がり、わたしの板を先生がどこかへ持ち去りスプーンの形にくり抜いて来た。電ノコ作業だ。ほら、見て来たら、と隣のおじさんが促すがわたしは疲れていて席から立てなかった。
そこからは鉛筆を削るようにひたすら形を整える。やっぱり耳かきレベルのスピード。速くは削れないのだ。
静かなアトリエには6人ほどの男女が木工作業をしていた。隣でご飯しゃもじを彫るおじさんは若いころはヘリコプターで報道の仕事をしていたという。ふうん。へえー。わたしは相づちもまともに打てないほど必死。作業に集中している。
スプーンがだんだん形を表す。おお。わたしは思わず声を上げてスプーンを掲げる。下から横から眺めては彫るべき箇所を探す。少しずつ。少しずつだ。
首をもっと細くしよう。持つところはふっくらさせて雫形にしよう。夢中で彫っているとおじさんがそこはヤスリで仕上げるといいなど親切に言葉を掛けてくれる。
彫りを終えてヤスリに入る。スプーンを台に起き両手を離した。うん、ストップだな。隣のおじさんがわたしに言った。彫るのを止めるってのは結構むつかしいんだ。向かいに座っていた男性も声を掛けてくれる。いいんじゃない?先生がヤスリをくれた。みんな笑顔である。
そして温かい珈琲が出された。参加者の中に珈琲豆を焙煎する人がいるらしい。コロンビアのスウィートなんとかという珈琲豆だと説明される。シングルオリジンである。
アンタどんな音楽が好き?隣のおじさんに尋ねられた。隣のおじさんの妻はプロの声楽家で来月コンサートをするという。
Mr.Childrenです。わたしが答えると作業台の端の方に座っている若い女性が可愛いらしく声を上げて笑った。女性はバターナイフを彫っている。
おじさんが言った。
Mr.Childrenて何だ?
みんなが笑う。
中年男性が土砂降りのステージでイノセントワールドって歌うんですよ。わたしはそれ聴いて泣いちゃうんです‥‥。
おじさんはわたしを見て、イノセントワールド、と何度も呟いた。そうか、イノセントワールドか。おじさんは自立するご飯しゃもじの仕上げに胡桃オイルを染み込ませていた。
珈琲の香りに包まれるアトリエではわたしは脳内に幻聴がひっきりなしだった。平気だ。脳の中の声だ。
Mr.Children『幻聴』もなかなか良い曲だし。