優しい春の雨が降っている。窓の外を見る。遠くの谷から白い湯気のような霧が立ち上がっている。よく見ると霧はゆるい風になびいて僅かに右に傾いてなびいている。上空へと向かう幾本もの濃淡が見えるのだ。老眼のせいか、それともそういうアートな幻視なのか。
早朝から脚が痛む。カロナールを飲んでしまうとする。それでカロナールは在庫ゼロ。今日はクリニックは休み。カロナールを処方されて3カ月だ。まちがいない。わたしはカロ中になりつつある。
だいぶ前だけれどseramayoさんのページで聴いたプーランクのノヴェレッテをリピートで聴く。なかなかいい。youtubeで他のプーランクも聴く。
痛みが和らぐ。気がする。いや、じっさい楽になるのだよ。だからそうだ。わたしはきっと痛みだけではない何かをカロナールで抑え込んでいるに違いない。
いつかエネルギーがあるときに書きたいと考えていることがある。DIDには鬱なんか無い。DIDは幾筋もの素描で生きているのだ。びっくりするほど短い、瞬間で通り過ぎてゆく景色や行き止まりの線描にそれはそれは戸惑うことが多い。
文脈どころでは無いのだ。失われたままの解答。出口の無い迷路だ。未完成のままで放置された絵。脚の欠けた机。そんなのには品性が無い。品性は無くても構わないが振り向いたら自分が居ないというのは困る。足の痛みはむしろそんな狂気なわたしに人間性を取り戻させようとする快復の試みかと思う。
プーランクは繰り返しが多過ぎたり少な過ぎたり。時には全く繰り返しをしないで冷徹に去って行くこともある。プーランクを聴いてクスクス笑う。脚が痛いよ。誰の脚だよ。知らないよ。そんな風にプーランクがわたしの周囲でゆらゆらと揺れている。気持ちよく鍵盤が鳴っている。
A.D.DID(DIDの診断を受けた年をわたしはこう呼んでいるのだ)、内科の主治医はわたしに言っていた。
君は薬が効き過ぎる。
薬剤過敏か、それともそうだな、わたしは暗示にかかり易いのだろう。だから今日みたいな痛みは3万円以上するめっちゃあったかい寝袋で包んでくれたら治るんじゃないか。
売っとったなあ。好日山荘に。
3万円以上なのか。オマエ面倒臭いやつだな。嫌われるぞ。
そう、そこ大事。