沖縄海遊び

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沖縄海遊びの日々。我々は(友人とわたし、そしてわたしの2人の娘たちの4人)朝9時那覇の船着場で電話予約した”フェリー渡嘉敷”の乗船手続き中、係のにいにいから強風で今日の午後便は全船欠航だと教えてもらう。

え?だったら渡嘉敷島に泊まるー!という声をそんなら辞めよー!という意見(わたし)が制した。とぼとぼと船着場を出る。慶良間諸島日帰り計画は敢え無く頓挫。

ママが楽しみにし過ぎたせいだ、と娘の1人が言った。彼女曰くわたしはこれまで旅先で雨や台風を頻繁に呼んでは計画をぶち壊して来たらしい。んなわけないやろが。

友人は気を取り直し那覇を北上、本部町へと車を走らせる。しばらくして海岸道路を西へ大きくカーブした窪みにゴツゴツした奇妙な岩が現れた。ゴリラチョップである。

小さいが湾になっているゴリラチョップと呼ばれるこのダイビングスポットにはそれほどのうねりは見られない。我々は駐車場で車を降りると装備を付けていそいそと海に入る。そもそも水着着た状態で車に乗り家を出たのだけど。

海を覗き込む。だんだん見えてくる。白黒ストライプの魚のグループがわたしの前を通りかかった。このタイミングかと友人が分けてくれた麩の固まりをすっと差し出すとああ麩をお持ちでしたかと魚たちは立ち止まり方向転換、わたしの麩につんつんと喰いつきはじめた。

わたしは驚いた。なんだか笑える。この魚たちはまるで慣れているのだ。こやつらに危機管理というものはないのか。ふと見れば後方で、少しサイズの大きな、蛍光イエローの1匹の見るからにザ・熱帯魚君がわたしを見ている。

わたしは彼(イケメンはそれが魚でも雄だと思ってしまうおばはんのわたし)にアイコンタクトを返す。ほれ。わたしはストライプたちが入れ喰い中の麩を彼に見えるように差し出してみた。遠慮するな、アンタも腹減ってんだろ。

彼が言う。いやでも今その縞々魚たちが食べてるから俺はいいよ。わたしは小さくうなづいては了解したと彼に念じる。無理にとは言わない。

シュノーケリング。わたしは水面を自由に右へ左へと漂い泳ぐ。遮るものは何もない。無重力。眼下に1メートル強の径をしたソフトコーラルたちが毛深い動物の冬毛のような触手を水流に揺らしていた。

昼が来てわたしたちは濡れた水着のままで車に乗りこむと次のビーチである真栄田岬へ。A&Wのドライブスルーでハンバーガーを買う。着いた。だがやはり強風で真栄田岬は赤い旗が立っていた。赤は遊泳禁止なのだそうだ。

友人は裏真栄田と呼ばれる浅瀬へと我々を案内してくれた。浜を降りて海に入る。まるで板の間のような幅の広い平らな珊瑚の固まりの隙間には数メートルの深さがあり泳ぐことが出来るし魚も沢山いた。

進んで行くと幅数メートルの大きな隙間もありゆったり泳げた。又しても麩を魚に示す。ここの魚たちもそれは簡単に寄ってきた。それでいいのだろうか。君たち知らないおばさんから食べ物を貰って大丈夫なのか。

知らぬ間になんとかして平等に麩を与えようと苦心している自分に気づく。しかし海の中は弱肉強食だ。お前にはさっきやっただろと睨んでみてもそれが何か?とひょうひょうとして傍若無人な1匹は大きさはわたしの手のひら位、薄い正方形の体の四方に尾ヒレと背ビレと嘴を付けたデザインでちょこまかと動く、なかなかに憎めない奴だった。

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この日は夕食後カラオケ。娘たちの歌を聴きながらわたしはあの四角い食い意地の張った1匹の熱帯魚のことを思った。あの魚はたぶん歳の頃はアラサー女子、観光客やダイバーたちからは愛でられ麩を与えられ、今は毎日が楽しくてたまらない。だがいつかそんな若さを懐かしむ日々が来る。誰にでも追憶の夜が来る。

わたしは小坂明子「あなた」を歌った。