走るために生まれた

「BORN TO RUN」は2010年に出たクリストファー・マクドゥーガルの小説である。ジョギングについて調べていて、もうこれはどうしても読まねばならぬと速攻買い求めた。ところが図書館で予約していたティムウィントンの本が予想外に早く届き、なんでも予約本の延長は不可だということなのでそちらを先に読まねばならない。というわけでこのランナー小説は今まだ読みかけなのだか、ジョギングを語るにおいて触れずにはおけない一冊だ。

DIDのやっかいな症状に頭痛がある。DIDを患っていて頭痛とうまく付き合っているという方がおられたら是非その秘訣を伺いたい。

頭痛歴は長い。頭痛とは物心ついたころからの付き合いである。しかしこの5月の危機の頭痛は人生最強であったといって過言ではない。人前では決して涙を見せない見栄っ張りの私が馴染みの整形の受け付けでポロポロと泣き、いつもは小馬鹿にしちゃう感じで付き合っている年下のドクターにギブアップした。ただ事ではない事態にMRIが撮られ、腫瘍も詰まりも無いことが判明するとキシロカインステロイドが頭皮に走っている後頭神経に皮下注射された。

DIDでは人格交代に頭痛が関わっていると幾つかの文献では読んでいた。それでもあの日の頭痛を思い出すだけで今でも震いあがる思いだ。長年自分は痛みには強いという自負があった。

注射が効いたのは私が暗示にかかりやすいからだ、と整形のドクターは分析する。ね、ちょっと感じ悪い医者でしょ。でも相性がいい、というか私にとってはなんでも話せる数少ない医者のひとりだ。だから許す。

沖縄から帰り、また少しずつ頭痛が発生していた。精神科の主治医の勧めで私はジョギングをしてみた。驚いたことに走っているあいだ頭痛は消える。本当なのだ。そしてジョギングの終了とともに頭痛はまた復活するのたが、薬や注射無しで頭痛をコントロール出来たという達成感で初日はしばらくハイだった。これをDIDにおけるランナーズハイと私は勝手に呼んでいる。

今日で10日、ジョギングは続いている。

朝4時の街はまだ暗い。あれやこれやとジョギングをリサーチしているが、足を傷めない走り方というものがあるらしい。ジョギングは必ず足を傷めると断言する文献もある。私としては頭痛を制覇出来るこの朝のランニングを死ぬまで続けたい。

私の足は有痛性外脛骨といって、両足の土踏まずあたりに小さな小石くらいの余分な骨があり、長く歩くと痛む。日本人には5人に一人の割合でこの障害が見られるらしい。だから結構ありふれた障害だ。

数年前トレッキングを始めて発覚した。それでも時々山登りはやめない。整形のドクターもせっせとボルタレン軟膏を出してくれる。

当然ながらジョギング3日目くらいで、丁度筋肉痛が解消したころ足が痛み出した。足は痛いが頭痛は消える。有痛性外脛骨は進行すると深刻だが、私は希望的である。フォアフットランニングは効果的に筋肉をつけるはずだ。そう信じている。ダメならダメでまたなんとかすればいい。

前書きが長くなったが(前書きだったの?) DIDには新奇性追求性を持った人格が見られる。 簡単に言うとスリル中毒。 でも彼ら彼女らのおかけで私は日常に退屈しない。 ジョギングが恒常的に脳の均衡を保つ要因のひとつは、それが体に負荷をかけるからだろう。リストカットには顔をしかめる人も、ジョギングなら賞賛だ。 今日の脳内BGMは明け方の静けさにかすかにさえずりをはじめる小鳥の鳴き声。チチチチ。 今日も一日ぼちぼちいきましょう。 ではでは、このへんで。