宮崎駿・宮崎吾朗「紺色のうねりが」〜コクリコ坂からサウンドトラック

もうずっと何日もやっているのだ。暇が出来ると時刻表を見ている。何年振りかに大きい時刻表を買った。JR全線・全駅掲載で1400円。昔の電話帳みたいなやつだ。高いのか安いのかいつもわからない。

もともと時刻表が好きである。移動にバッグに入れることはもうない。乗り換えはアプリで検索だ。

JTBの時刻表。表紙は北陸・上越新幹線長野〜金沢間でこの春運転を開始したW7系のポートレイト。新幹線のデザインは零戦から来ているというドキュメンタリーを昔観たことがある。W7系のデザインキーワードは洗練、ゆとり、開放感だそうだ。まあなんかよくわかんないけどちょっとヘルメットかぶってる感じがパーマン1号に似てない?W7系、可愛いな。

トップページには特急運転系統図。1枚めくると索引ページ番号の付いた路線地図。大きい時刻表は地図も大きいな。地図を見入る。宮脇俊三が手こずった盲腸線、至るところにある。地下鉄の路線図は載ってないな。

後ろの方地方会社線のページ。壱岐対馬方面、航路。博多港〜巌原港。船の名前って面白いな。フェリーちくし。ちくしに博多港で乗り込み4時間で巌原港に着く。一等でも1万円しない。1日2便ある。

空路はANAのみ。高い。ネットで調べたら1万円を切っていた。福岡から35分で着いちゃうからなあ。対馬の空港は対馬ヤマネコ空港っていうのか。飛ぶ感じがしない。ヤマネコはまずいんじゃないのかな。

18切符で快速を乗り継ぎ博多入りする。軽く20時間は電車に座って居なければならず、1日中電車に揺られ日付の変わる寸前に九州で1泊することになりそうだ。そんなことはしたことがない。下関観光もいいかも。のんびり進めばいい。対馬での移動はタクシーしかないようだ。

どうしても行かねばならぬのか。

君の人生にどうしてもなどないはずだ。

パトリックが言う。

わたしは時刻表を床に放り投げソファで目を閉じた。

国家主義民族主義に救いは無い。

そんなことはわかっている。

祖母が母を産む何年か前の年、戦争のさ中祖母は半島へ帰郷しようと下関で船を待った。夫を亡くし何人かの幼い子どもを連れた祖母は再び日本にとどまるきっかけとなる同胞とそこで出会い、母が生まれた。母は自分の誕生日を知らないと言っていた。

母は下関へ行ってみたいと言っていた。母は考えたかもしれない。自分がこの世に生まれてきたことは本当に良い出来事だったのか。

ロマンチックが過ぎるようだがわたしは母に言いたいのだ。

オーライオッケーわたし今下関にいるよ。

わたしを産んでくれて本当にありがとう。わたしたち生まれてきて本当に良かったんだよ。母が亡くなりこの5月で丸3年になる。

ふと思い立ってキーボードに向かう。ピアノ曲集「宮崎駿スタジオジブリベストアルバム」をパラパラ。「紺色のうねりが」を仕上げよう。

紺色のうねりが

のみつくす日が来ても

水平線に

君よ没するなかれ

生きたいな対馬。やっぱりへそくり貯めてANAで行こうっと。

そうだな、そうしなさい。

パトリックが頷いた。