鯉(ラ・カルプ)


https://open.spotify.com/track/4HcxeXJD8NAxE4AzynYJFu?si=I5DCwtBGS_mvn5_R7gO67g&utm_source=copy-link

すってんすっく 花田ゆういちろう


久々に会う友人(ZOOMだけど)はパンデミック以降洋菓子作りにハマっている。最近はシャルロットケーキなるものをコンプリートしたという。シャルロットケーキ…。んー、ビスキュイってのはビスケット?この本では外注してるね。奇しくもわたくしもフランス菓子事典を今週購入。


ビスキュイ焼くよ。友人は鋭く言い放つ。その夜私は辻調と菓子事典でシャルロットケーキをこつこつリサーチ。いやいやシャルロットケーキは一筋縄でいかない。19世紀のオートキュイジーヌ(豪華料理)の余韻を伝えるピエスモンテ(キラキラ装飾サプライズ菓子タワー)なんである。


ペリーヌのママがパリのシャロンヌにあるギヨ園で病死したのは1878年の春。ママは敷地内に住む鯉おじ、と呼ばれていた一人暮らしの古くつ解体業兼スープの達人から一皿のスープを貰うが、それをひとくち飲むやいなや激しく嘔吐。その日のうち、この貧民窟の面々に見守られママは死んだ。


鯉おじは貧民窟の大料理人であった。オート・キュイジーヌに革命を興したアントナン・カレームは捨て子。アントナンもまた奇跡の味覚能力で大料理人へと登り詰めた。ペリーヌのパパとママが死ぬちょっと前のことだ。アントナンはシャルロットケーキを考案したのだ。



ペリーヌ、パパ、ママ、それから鯉おじとアントナン。みんなでテーブルを囲んでシャルロットケーキを食べよ。うん、それがいい。