木彫り熊紀行⑩骨董市で木彫り熊を探す

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名古屋市には「土日エコ切符」という地下鉄と市バスに1日乗り放題の切符がある。一枚600円なので2、3回乗り降りすると元が取れる感じでとても良い。同行した友人が「どケチエコ切符」などと言ってひとりで受けていた。

今日は名古屋市の吹上ホールの骨董市に行った。思っていたよりも本物だらけ、そして値段の設定が高い。骨董市ビギナーのわたしには良い修業となった。

会場で夫と友人と別れてひとりで一軒一軒店を見て回る。ほとんどのお店が個性的で特色を持っているようだった。昭和な文房具とフィルムカメラを並べるお店の店主は黒縁メガネの堅物なおじさんでお客と視線を合わせることもしない。愛着のこもった一品一品。売る気あるのかという高い値段が付いていた。

一見お洒落なヴィンテージな小物が溢れた一角になんと木彫りの熊マスクを発見。店主が見当たらない。仕方ないのでそっと両手で持ち上げて裏を見たりしているとアーチスト系の髭の若いイケメン男子が話しかけて来た。貴方が店主かと尋ねるとそうだという。この熊マスクはオークションで?と尋ねるとほとんどタダ同然で知り合いに貰ったと言う。

おそらく熊マスクはお土産として量産しないと思うし、顎や耳に少しずつひび割れがある。丁寧に掘ってあるので可愛い顔。サイズは札幌で見たものと同じだった。

先月別の骨董品店で見た熊マスクは旭川のもので堂々2万円だった。熊マスクは木彫り作品としてとても興味深いものである。イケメン君に値段を尋ねると8000円でいいやと言う。どうやら木彫り熊には興味が無いようだ。

ふと見たらシュタイフらしきぬいぐるみを発見。それは1万6000円とあり、そのとなりのヴィンテージシュタイフは小さい禿げ禿げでボロボロの猫にも関わらず2万円。

わたしは複雑な思いでいっぱいだ。なんでこの熊マスクは8000円なのか。安いよ。せめて1万5000円くらいの値を付けて欲しい。可哀想。熊を粗末にしないで欲しい。もやもやが収まらないので一周回ってまた来ると言い捨て店を離れる。

陶器屋さんの店頭では陶器の破片を売っている。なんで破片を売ってるの?わたしは破片の箱の前に居たおじさんに思わず声をかけてしまった。おじさん曰く破片の断面から時代を証明出来るらしい。おじさんは破片をひとつわたしに手渡してこれは桃山時代の唐津の陶器だと言う。高台が荒々しく厚みが均一で無い。400年以上昔の破片だと自慢気だ。

唐津って九州?じゃあこれを作ったのは何人?わたしが恐る恐る尋ねるとおじさんはとなりの破片の箱にわたしを促す。隣の箱には白い欠けたお猪口が幾つも入っていた。

これは高麗の磁器だよ、これを金でつぎはぎしたのがこれ。わたしは催眠術に罹ったように今度は硝子ケースに連れて行かれる。そこにはところどころに金箔を施したお猪口が並んでいた。

手の中に入ってしまう白くて薄くて小さなお猪口をおじさんはひとつ五万円だと言う。高過ぎない?わたしが困惑していると後ろから見るからにカッコ良いそれっぽい禿げおじいさんが現れてこら商品に勝手に触るなとおじさんに言うではないか。わたしに催眠術をかけたおじさんは実は店主では無くこの店の常連で、骨董品を買いはするがうず高く積まれたローンを一向に払い終えないのだと笑った。アンタこれ買わない?徳利も付けるよ。買わない。わたしは店を離れた。

わたしは割と簡単に催眠術に掛かるのだった。ひょっとしたらあのおじさんたちは毎回あんな風に芝居をしているのかもしれない。

木彫りの猫が時計を覗き込むオブジェを発見して思わず見る。中年の店主が来てこの時計には僕も癒されるんだよ、と話しかけてくる。この人はなんだか優しい雰囲気。わたしは自分が北海道の木彫り熊を探していることなどつらつらと話した。店主はここにはそんな在り来たりなものはないだろうな、これはどうだい、ほらタクラマカン砂漠の副葬品だよ、と木彫りのトーテムポールを出して来た。こ、怖い。い、幾らですか?25万円。きゃー。わたしは通路を早足で進む。

すると夫がわたしを見つけて手を振った。あっちに旭川の熊が居たよ。こっちには小さな熊がふたつあったよ。わたしはすがるように夫に付いていくとそこには旭川ではなく白老の鮭喰い熊が居た。丸い大きめの耳とスベスベした顔。くっきりと爪を掘り抜いている。間違いない。白老のアイヌの人が作ったものだろう。彫りは荒いが均一で巧みな流れるような毛彫りでゆったりとした雌熊の柔らかさを上手く表現していた。やっと会えた、北海道の木彫り熊だ。わたしが熊をなでなでしていると店主がやってきて2500円だと言う。

わたしは丁寧な仕事の木彫り熊にまたしても2500円は安いと感じてしまう。もやもや。その上その熊が欲しいとは全く思えない。おそらくわたしはコレクターにはなれないのかもしれない。可愛いさでは八雲の熊に勝るものはない。荒々しく鮭をくわえた熊ならば野性味がもっともっと必要だ。この熊は生き生きしているがこんなぴちぴちと肥えた熊は中途半端だと思った。いったい何をしにここへ来たのだろう。そしてわたしは何様なのだろう。

夫が小さい熊だと連れて行ってくれた店にはもっとびっくりするものが置いてあった。京都から来ているという女性のお店。イギリスの骨董市に年に二回買い付けに行くという。その木彫り熊は小さな這い熊であった。店主がこれはドイツの公式な木彫り工房のお墨付きの商品だと言う。サイズは八雲町で見たスイスのお土産品と同じくらいだ。目玉がプラスチック。新しいお土産品だろうか。

わたしが気になったのはドイツの公式な木彫り工房のことだった。ドイツではある一定の基準を満たした作品で無ければ販売する許可が降りないと言う。そんなシステムがあるのか。それは農閑期の農村部での木彫り作品を集めてチェックするのかと尋ねると女性はさあよくわからないといいつつもお土産品にもブランド品があること、同じ木彫りでもその土地の特色を継承してゆくらしいと説明してくれた。

作家個人ではなく地域の作風を護るというのがとても興味深かった。どれがどう優れているということではない。女性は木彫りの人形をわたしに持たせてくれた。それは朗らかに笑い農作業の手を休める男性の人形だった。そしてこの地域のこの工房のものがこうであるというのは顔つきでわかるのだと言う。見て、この顔なのよ。女性が言った。わたしは唸る。

流行でもなく、個人のこだわりでもない。わたしはようやくペザントアートと呼ばれるジャンルの理解のむつかしさを感じることが出来た。アーティストたちの本職は酪農家や木こりなのだ。木彫りを通して木と向き合う時アーティストたちは山と向き合い森と向き合っているのかもしれない。

徳川義親が木彫り熊を通して八雲町の男たちに提供したのは単に冬のあいだの仕事だけではない。それは北海道という土地への愛着だったのだろう。北海道の山と冬と熊。男たちは一筋また一筋、静かに木を削る。

わたしは女性のお店のホームページを教えてもらう。京都なら近いです、とわたしが言うと女性が笑った。だってわたしがスイスに行かなきゃって思ってたから。女性が笑った。また会いましょう。わたしたちは別れた。

ドイツの小熊は4000円で、夫はてっきりわたしが買うものと思っていたので買わずに店を離れたわたしに値切れば良かったのに、と声を掛けた。わたしが4000円は安過ぎるよ、と言ったので友人も夫も意味がわからない、安過ぎて買えないなんてと笑った。わたしにもわからないのだ。説明は難しい。とにかくまだまだ調べなければならないことが沢山ある。宿題が沢山だよ、と謎めきつづけるしかなかった。