講談社現代新書 杉山登志郎「発達障害の子どもたち」

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(東山動物園 対馬ヤマネコ舎)

動物園へ行った。ツシマヤマネコを見たかったが週末ということもあってかツシマヤマネコにはギャラリーが多くヤマネコは最上段から降りては来なかった。ローアングルから望遠レンズで撮る人もちらほら見かけた。ヤマネコは24時間モニターで管理されていた。これじゃあプライバシーがないよね。(動物園ってのはそういうところでしょうが)

昨日次女の運転でブックオフへ。杉山登志郎発達障害の子どもたち」が108円だった。安い。中を見ると全ページ熱心な書き込みだらけ。だからかな。早速買ってうちに帰り、特売の値札を剥がすと入荷時には260円の値がついている。これだけの書き込みがあってもこの値段。唸る。いやさすが杉山登志郎氏です。

関東にいた時に電話でカウンセリングを受けていたが、その時のセラピストが杉山登志郎「子ども虐待という第4の発達障害」という発売されて間もない話題の本を勧めてくれた。早速図書館で借りて読んだ。内容は衝撃的であった。子ども虐待と発達障害自閉症、精神遅延と記憶障害。どうやらこういうものは重複して起きているようだ。

杉山登志郎は虐待系発達障害とそうでない発達障害とを臨床から見分けているようであるが、わたしが最も衝撃を受けたのは虐待系発達障害には生後間もなくの時期の母子間の視覚の接触の有無で生じる、赤ん坊の脳への器質的発達障害があるとされる論文の紹介だった。

あまりにもショックだったのでそのとき本を閉じたのを覚えている。ダメじゃん。もうわたし治らないじゃんみたいな気持ちになった。

今考えればそのときのわたしの反応は極端であった。一病息災と言うではないか。いつかこの世から病気が無くなればそんときゃ俺は食いっぱぐれだと内科の主治医はゲラゲラ笑っていた。誰だってどこか悪いし、誰だって老いてゆくのだ。この世でどうしようもないことなんて誰だって幾らでもあるじゃないか。

おそらくその頃のわたしは母への復讐心で満ちていた。何もかも母のせい。丸投げだ。発達障害とはよく言ったものだ。わたしの心はいくつになっても幼いまま。発達を遂げる、成長をするとは自分のありのままの現実を受け入れてゆく力をつけることなのだと最近考えるようになったがはてさてうんちくばかり。じっさい力を付けていってるかどうかは怪しい限りだ。

ブックオフの帰りに長女の家へ行き録画してある真田丸を見た。おにぎりある?ないけどこれ食べる?長女が昨晩の残りだと手作りのマカロニグラタンを温め直してくれた。

お姉ちゃんところには家庭の味ってものがあるよね。次女が嬉しそうに言う。ええそうですとも。ええはいそれは事実でしょうよ。

長女が面白いのあるから観る?と「三谷幸喜 大空港2013」をみしてくれた。ドタバタコメディー。めちゃ笑った。

わたしは昔とある友人に「ねぇ今気づいたんだけど貴女って藤山寛美に似てるよね!」と言ったことがある。わたしは藤山寛美が大好きだったし、彼女のことも好きだった。だけどうら若き女性に対しては適切な褒め言葉とは言えなかったようだ。

そのとき彼女がわたしに言った言葉は「前から思ってたんだけど貴女って三谷幸喜に似てるよね!」だった。え、どこが?わたしがそう言うと、彼女は自分は藤山寛美ではなくむしろ藤山寛美の娘に似ているのだと言った。一緒じゃん、と思ったがわたしは黙っていた。

その話を長女にしたらそう言えばママ、三谷幸喜に似てるよ、と言うではないか。アンタ三谷幸喜に会ったことあるんか?ん?ありゃどう見てもおっさんだろうよ。

唸る。