PP&M

PP&Mとはピーター、ポール&マリーである。PP&Mが好きなのは大きな声が苦手だからかもしれない。PP&Mの三層に堆積する、ささやくような歌声が大好きである。トワエモアとか赤い鳥とか日本にも混成ユニットはあるけれどなんか違う。軽やかさが違う。そしてPP&Mにはどこかドライブ感がある。

か細い声や肺活量の少なそうな声が好きである。声の張る人と一緒にいるといつの間にか疲れている。私自身声がとても小さい。昔少しの間だったけどバイトで病院の受け付けをしたことがある。◯◯さぁーん、と呼ぶ声が小さいと院長に何度も怒られた。何度も何度もやり直すのだがいつまでたっても私の声は全く聞こえにくく、なかなか改善しなかった。最近のカラオケは得点が出るが、私のような声質は全く点が伸びない。なんか息苦しそうですね、とかコメントされたりして悔しい。

よくしゃべる人が苦手というわけではない。私の夫はよくしゃべる人でいつもたいていなんやかんや話し続けている。楽しくて明るい人が一緒にいて楽だな。

小学3年の時私は突然緘黙症になった。今もその時の苦しさを忘れることはない。ひとこと返事を返そうと思うけれど、喉がピッタリと閉じていて話すことが一切出来ない。悪い事に私の場合は場面緘黙症というやつで相手によって話せない感じになってしまう。仲の良いクラスメートときゃーきゃー騒いでいたその直後、担任の教員には一言も返せない。

なんで黙っている、返事をしなさいとばかりに教員には怒られる。私は全く声が出なかった。はい、というひとことが出ないのだ。全身で声を出そうともがく。脂汗が出る。焦りと不安で極限状態だ。もちろん当時の私に場面緘黙症などという専門知識はないから、どうして声が出ないのか、頭の中ははてなで一杯だった。

35を過ぎて、精神科へ掛かり始めたある日、突然声が出なくなるという症状に見舞われた事があった。内科であれこれ検査したが原因がわからない。その時はそれが精神的な症状だとは全く考えなかった。内科のドクターは悩んだ挙句これは声帯の炎症かもしれない、3日くらい声帯を休ませましょうと言い、私は3日間きっちり筆談で過ごしたが、その時にああ、私ってあんまり人と話さないんだな、と思った。頷く。微笑む。見つめる。首を振る。そんな風に毎日が過ぎて行く。それはそれで悪くなかった。

小学3年の時に場面緘黙症になったのにはたぶん訳があった。私は多動で攻撃性の強い問題児だった。状況は少々複雑だった。私は在日部落の子どもで、その担任の若い男性教員は在日の子どもをとても嫌っていた。

PP&Mに戻ろう。私はメインの旋律に長3度でハーモニーを重ねるのが得意である。というよりほとんど癖になっていて、カラオケとかで家族や友人の歌うそれらしい曲にハモらずにはいられない。黙っているつもりでもいつの間にかノリノリでハモっている。PP&Mのように最初から最後までハモれる曲はテンションMAXである。

倍音効果という言葉がある。オクターブ上とオクターブ下の音が共鳴することだ。私の場合はひとたびハモり始めると頭の中で何人かの人の声がし始める。倍音効果では同一音のみだが、DIDの脳はPP&M的効果のようだ。上方へ下方へとハモりは広がっていく。

場面緘黙症と対極にある、言ってみれば場面ハモり症。

ハモるってどうしてこんなに気持ちいいのかな?

一致と調和。それから平和だからだな。

スピッツの「群青」っていう曲、結構ハモれますよ。それから少女時代の「MR.TAXI」も。

あー、カラオケ行きたーい。