小説 丘の上から 秋の章 12

薄曇りの空が10時を過ぎる頃には厚い雨雲になった。遠くの方では雷鳴が轟き、あっという間に豪雨がやって来た。

強風でカフェの窓ガラスがビシビシと鳴る。横殴りの大粒の雨が酷くて外は何も見えなくなった。

びしょ濡れの姿でパトリックジェーンがカフェに飛び込んできた。朝一で珈琲を飲んでいたホウドンジャはパトリックの背広を脱がせて、壁のかもいに吊り下げた。

「熱くて甘い飲み物がいいな」パトリックが苦笑いしながらうさおにオーダーした。それから僕に手招きした。テーブルからテーブルへ、僕は飛び移った。

「やあ、フランキー。君はここに住んでるの?」

「僕の名前はフランクリンです。そうです。もう3日、ここに泊まっています」

僕のベッドはフライデーのピーコートのポケットの中だ。

「こりゃ台風かな」パトリックはうさおの作ったレモネードを美味しそうにすすり、つぶやいた。

「ローザが働いているんだそうです」

「ローザ?誰だよ、それは」

「黒兎のローザです。強い力を持っていて、今日1日美和と入れ替わって、活動しているんだそうです。パトリックさんは、ええと、交代人格、っていうんですか、その、美和の脳内の人格のひとりなんですよね。ローザのこと、知らないんですか?」

「うん、僕はまだここへ来て日が浅いからね」

「グモーニン、パトリック」

エルだった。エルは木製の四角いプレートに温かい卵焼きやハム、ザワークラウトとポレンタがのった朝ご飯を運んで来た。

「やあ、エル、おはよう。ありがとう」

パトリックはエルをハグした。エルは上機嫌で僕の頭を撫でるとカウンターへ戻って行った。

「それでそのローザって黒兎はモンスターラビットの一匹なんだよね。一体何をしてるわけ?」

パトリックは卵焼きにパクつきながらちらりと窓の外を見た。相変わらず強い雨が降り続き、強風は丘の上のカフェにタックルを繰り返している。

「パトリックさんは見えない感じですか?‥‥‥」

「君は見えるの?」

「見えません」見える見えないというのは美和の見ている世界のことだ。フライデーやうさお、エル、ホウドンジャ、ジョージピーターズはちょっとした操作で(僕には瞬きしているだけにしかみえないのだけど)、美和の見ている世界を見ることが出来るのだ。僕はパトリックに瞬きしてみるようにと促した。パトリックは下手くそなウインクを何度か繰り返し、ダメだ、見えない、と笑った。

「うさおとジョージはローザに美和を海に連れて行くように頼んだだけだったのに、ローザはしでかしたんです!」

「しでかした?」パトリックはポレンタをフォークの先にちょっと付けて、食べる?というように僕に差し出した。興奮気味だった僕は温かいポレンタをひと舐めした。甘い。香ばしい。あまりの美味しさに僕はパトリックのお皿のポレンタを手ですくってもう一口食べた。

「僕が美和の兄貴なら男をぶん殴ってる」パトリックは言った。僕は3ヶ月前に踏切で轢死したという美和の兄の話をフライデーから聞いていた。パトリックは美和の兄の死の衝撃で創り出された人格だ。

「ローザもそれに近いことをしようとしています。そしてうさおもジョージも、エルまでもがローザを止めることをしないんだそうです」

「殴ったの?」

「いいえ、話し合っているんだそうです」

「話し合うだけでこんなに荒れちゃうわけ?」

その時大風でカフェがドンと大きく揺れた。僕はパトリックのカフスをギュッと掴んだ。

「期待、だそうです」

「期待?」

「うさおが言ってました。美和は迫田光治に強く期待していて、その感情が、ええと、なんていったかな、‥‥‥精神力動です。美和は強い想いを抱いているんだそうです。それだけなんです。ローザがしでかしたのは」

「わーお」パトリックは小声で言った。

「あの娘はクールに生きてきたからね。誰にも何にも期待しない。‥‥‥。でもなんだってあんなへなちょこな奴に‥‥‥」

「うさおは言ってます。関係性は培われる。人は変わる。それに」

「それに?」

「迫田さん悪い人じゃありませんよ。僕、何回もヒマワリの種もらいましたから」

「リスを飼うのと子どもを養うのとは大違いさ」

「でしょうね」僕は不安になる。

「その仕事、へなちょこ野郎と話し合う、その代わりにモンスターラビットは何をプレゼントに貰えるの?」

「紅茶のスコーンを2個」外は風が唸っている。

「いいねえ」パトリックは頷いた。「正解だ」