荒井由実「海を見ていた午後」

人づてに生姜酵母を貰った。シュワシュワと元気がいい。早速全粒粉を混ぜてパン種に。数時間でもうパン生地のような気泡が見えはじめた。発酵抑制に少しの塩が入れてあるのだがとにかく力がある。

もう一つの瓶を熱湯で消毒しぶつ切りの林檎を入れ浄水を注ぐ。朝晩は冷え込む。こいつは何日か掛かるだろう。春までは旅行に行く当てもなし。明日は檸檬酵母を起こしてみよう。ケフィアも増えている。もう瓶がない。百均行くか。

三女夫婦が来た。旨い塩鮭の皮と骨を取り除く。冷蔵庫の残り野菜を全て薄切りにしてオリーブ油でゆっくり炒めてなんだかわからないミネストローネ未満にコロコロの塩鮭とバターを加え、水。煮込む。ミルクを入れて熱々にして出来上がり。今日はこの変てこスープと半分中力粉で焼いたフォカッチャ。メニューはこれだけ。

天板いっぱいの枕みたいな四角いフォカッチャを切り分ける。わたしは白いご飯を少し。これミルクじゃなくて酒粕入れたら粕汁だよなあなんてひとり思いつつ熱々を啜る。

さて、今日は楽器で遊ぶ。長女は食卓テーブルにキーボードを設置。5歳は早速トランペットをプォーとやり出した。三女の婿がいろいろと持って来てくれた。ハーモニカ、オカリナ。そしてギブソンエレアコ虎目とポータブル真空管アンプ。ペダルのようなものでギターの音色が変わる。暖かな音だ。

わたしは唄いまくるのだ。唱っているのは誰だ。

幼児のわたしは将来は歌手になりたいというのが口癖だった。佐良直美や園マリ美空ひばり三橋美智也などはたいへんむつかしかった。母は幼いわたしにクラブ歌手がどれほど過酷な下積みをするのかその時は丁寧に説明する。何度諭されてもいや大丈夫キャバレーのドサ回り出来るもん、と幼児のわたしは言ってきかなかったらしい。そらまあ無理な相談だ。子飼いで売られなかっただけでも幸せだった。おそらくそこまでの才能は無かったんだな。

調子が出てきた。長女とふたりハモり出す。声が似ている上に倍音効果の声質。ピッチが合うとまるでひとりが唱っているように聴こえて気味が悪い。婿は道具入れに股がりリズムを刻む。

カホン欲しいね。

大須に売っとったな。

タンバリン買うか。

ちゃんと一曲仕上げようよ。ディズニー?ジブリで行くか。ナットキングコール。無理。知らないしな。

もう少ししたら沖縄の友人がこっちに遊びに来るらしい。その時のサプライズの曲を選ぶことになった。

お母さん誰好き?ユーミンかな。残念。若い人たちはユーミン世代とは言えずユーミンの名曲の数々を全く知らないという感じだ。

やめよやめよ。他にしよ。そうだね。このギターならバンチキのかっこいい曲出来るかも。オサレなやつね。

わたしはユーミン世代だ。「海を見ていた午後」はラジオで聴いた。

途切れ途切れのモノローグ。男女の機微ひとつわからない子どものわたしでもこの曲の唄い手の生きづらさになにかしらのシンパシーを感じたものだ。

今ならちゃんと歌えそうだ。もう充分におばさんになった。あの時目の前でぇ〜、思い切り泣けたら〜

あー、うるさい。リビングがすっかりサルサメレンゲだ。

今でもキャバレーのドサ回り、どこかにあるのかな。母はドサ回りの苦労の、いったい何を知っていたのだろう。聞きたかった。そういえばファドとか、好きだったな。

母の歌をちゃんと聴いてみたかった。

少しだけ、そう思う。