多重人格NOTE その8 連合弛緩〜言葉のサラダ

見知らぬ人と対話する奇妙な夢を続けて見る。

一昨日は男性だった。彼はアメリカのホームドラマの子役が思春期になった感じのはにかんで初々しい仕草で何か早口でまくし立てながらわたしの周囲をスタスタと歩き回る。金髪。手の甲が白い。しかし時間の経過とともに夢の印象は薄れていく。今ではただ根拠のない、強烈な懐かしさだけが脳内に残留している。

夕べの夢はまだ記憶に新しい。カメラ付きインターホンのモニターを覗くとオリエンタルな顔付きの長い髪の女性が酷く悲しげな目をして立っていた。わたしは恐る恐るどちら様ですかを言い続けるのだがあたしよ、あたしよ、と彼女はなかなか引き下がらなかった。根負けしてドアを開けると雪崩れ込むようにして彼女はわたしに持たれかかってきた。衣服も髪も雨で濡れていたが頬だけが冷たく乾いていた。

DIDに連合弛緩という症状がある。言葉のサラダとも言われる。専門書などには考えがまとまらないと書かれてある症状だがこれが大変辛い。

原因は出力不足か。はたまた入力過多か。

症状を放って置くと脳内の思考のスピードがどんどん速まってゆく。イメージの建築作業現場が酷く慌ただしくなる。大声が飛び交う。それは重い鉄骨が次々と何本も何本も放物線を描いて宙を舞うようだ。考えが、イメージが力強くとめどなく溢れて抑えることが出来なくなるのだ。

夢の登場人物が見知らぬ人間なのはどうしてなのかはわからないが、奇異で印象だけの強いこれらの変な夢を思い出す作業は辛い症状を緩和する。夢を思い出している時間は頭が楽なのだ。

だから弛緩を緩和するのではない。連合弛緩とは的外れな表現だ。長年のこの苦しい症状にわたしはとにかく緩めること、繋がりを断つことで対処してきたのだ。連合弛緩とはリアルに対処している臨床像なのだろう。

言葉を吐き出すよりもイメージを、沢山の色や形や匂い、メロディや光の陰影を脳内から除去してゆく。長い時間だ。本当に長い長い時間だったのだ。何十年もかけてそれらは蓄積した。そしてそれは奇妙な確信を持って言えることだがけしてわたしではないのだ。わたしの中の他人なのだ。わたしと向き合って来た人たちなのだ。DIDは記憶を拒み、対象を移行させた。いわば千切れた記憶なのだ。

ひとたび弛緩してしまった思考をまとめよう。

粉を200g牛乳120mlで加水させる。牛乳には三温糖と塩をあらかじめ混ぜておく。卵黄を入れよう。卵黄も牛乳によく溶かしておく。

白い牛乳に三温糖の薄い褐色と卵黄の橙色が混ざり少しとろりとしたwetが出来上がる。箸を使って粉切れさせた生地に元種を80g。スケッパーで切るようにして混ぜる。そこから持ち上げ掬って返す。何度も返す。繰り返す。

パン焼き(厳密にはパン捏ね?)はわたしの脳を鎮める。パン焼きをしようと動き出す前に脳内ではほとんどの作業が済んでいる。全てシュミレーション済み。そうしてわたしはわたしを取り戻す。

ふっくらのやつにシナモンシュガーをまんべんなく撒き、端をそおっと持ち上げてゆるりと巻いてゆく。6等分。マフィン型に丁寧に置く。

今週シナモンロールtake4。生地にはインスタントコーヒーを濃く溶いた液を足す。

焼き上がると生地は珈琲色だけど珈琲の香りはあまりしない。コーヒーリキュールなんかを入れるとまた違うのかもしれないけどね。

シナモンと珈琲はクミンとライムのように、または少しのニンニクとトマト果汁のように、または千切ったコリアンダーと溶けた糖分のように互いに互いを受け入れて打ち消し合う。わたしの脳内も粉と水分をまとめて焼くだけで、あんなに荒れ放題だったゴタゴタは少しは収まるようだ。

そしてそういう暗示が有効だ。狂った脳でパンを焼け。巻いて焼き上げて美しく並べよう。

だけど専門書には書いてないよ。

DID患者にシナモンロールを焼かせろなんてね。