トヨタ産業技術記念館へ行きました

主人の夏季休暇で5歳と長女と一緒に名古屋にあるトヨタ産業技術記念館へ行って来た。お弁当はサンドイッチ。チキンと卵の2種類。オーバーナイトさせた生地をホイロで二次発酵させてからフライパンで焼いた。ノンオイル。wetは牛乳。ふわふわのバンズを目指して薄力粉を混ぜた。

 

 

トヨタ博物館というのが長久手にある。そこは何度か行っている。博物館ではひたすらクラシックカーを眺める。静謐で厳かな空気の中を一台一台挨拶して歩く。

 

トヨタ産業技術記念館というのはそことは全く雰囲気もコンセプトも異なるのだと少し予習して臨んだが開放感のある高い天井、赤レンガの壁と大理石の床が冷んやり。朗らかで品位ある受け付け嬢たちの笑顔。やはりここもある種のミュージアムなのだろうか。

 

1924年豊田佐吉は「無停止杼換式豊田自動織機(G型)」発明・完成した。

 

沢山の展示を見たがわたしが最も惹きつけられたのはこの1924年のG型自動織機である。

 

この織機は運転中にスピードを保ちつつよこ糸を自動的に補給し、かつまたたて糸やよこ糸が切れると不良布を作らないようにと稼働は止まる。効率良く機械は働くことが出来る。

 

わたしたちはガイドツアーに参加していた。自動車館の展示ですっかり頭が疲れていた。ぼんやりとツアーに付いていっていた。しかしこのG型自動織機にガツンと脳が覚醒した。

 

このG型自動織機から布の幅が90cmになった。わたしはツアーが去ったあとで説明係りのおじさんにそのことを尋ねた。

 

1ヤードですよ。おじさんはにこやかに答えた。

 

というとこの時には英国からの受注で布を作っていたんですか。

 

米国です。布ではなく自動織機を輸出したんです。

 

わたしははてなが止まらない。

 

イギリスの自動織機は豊田佐吉が紡績を始めるずっと前に稼働していますよね。横糸をボビンごと飛ばす装置はイギリスには無かったんですか?

 

おじさんはニヤリとした。ありませんよ。当時そんな機械は世界中どこにも無かったんです。おじさん曰くG型自動織機はその他50余りの特許を持つ化け物織機であった。

 

離れ猿のわたしはツアーを逃れ出て自動車館へ舞い戻り佐吉の息子豊田喜一郎の手記を読む。

 

あった。

 

ここだ。織機会社を企業した喜一郎がG型自動織機を200台作ったとある。あの独特の鉄のアームを200、鋳造したのか。

 

稼働してみるが故障の連続。故障の原因は女工たちの織機に対する知識不足、また生産性経済性を高めるという作業効率への認識不足だったとある。

 

G型自動織機は発案は良かったが実際に稼働して稼ぎ出すまでが長い道のりだったようだ。

 

強いなあ。

 

働く男だな。

 

わたしは手記を繰り返し読んだ。

 

やっぱり本っていいなあ。

 

ここ、楽しい。また来ようっと。