連載小説 小熊リーグ⑮

「先生大丈夫か?顔色が悪いようだな」マスターが言った。「気分が悪いんじゃねえか?このクマのせいだろう。こいつはちょっと生意気だからよ。サキちゃん早くクマを片付けろ」

「ねぇ、先生、教えて。この子いまなんて言ったの?」彼女はマスターを無視して尋ねた。僕はしばらく黙ってクマを見ていた。それから僕は語りはじめた。

「僕は‥‥精神病の人たちがこれまで怖かった。看護師やドクターたちが怪我をしたりすると僕は陰で震えてた。僕が精神科医になったのは外科とか内科とかそんなのよりも精神科医の仕事が楽そうだったからなんです」僕がそう言うと彼女は少し悲しそうな顔をしたように見えた。僕はロビンという名のクマのぬいぐるみをじっと見た。ロビンはふんと鼻を鳴らした。僕の脳裏に1人の統合失調症患者の姿が浮かんだ。僕が何年か担当していた70代の男性患者だった。30代で発病。若い頃は賭博で刑務所を出たり入ったり、彼には親族らしきものも帰る家も無い。大人しいなんのトラブルもない楽な患者だ。

「時々、彼が言うんですよ。先生が俺をバカにしてるって‥‥俺をバカにしやがって、畜生バカにしやがって、なんて‥‥」ふと振り返ると青いジャージ姿の彼が店内の少し離れたところに立って、僕を悲しげに睨み付けていた。僕は胸がいっぱいになりみるみる両目から涙が溢れ出た。「バカにしてたよ‥‥。あんな風になったらもう人間お終いだなって、僕は本当は思ってたよ!」僕はカウンターに拳を叩きつけた。誰かが後ろから僕の肩を抱くのがわかった。マスターだった。叩きつけた拳に彼女が手のひらをそっと重ねた。

子どものような小さな手のひらだった。それは温かな手のひらだった。「泣いていいよ。先生」

マスターは両手をギュッとやって僕の肩から離れ、今日はもう店は終わりだと言ってテラス席を仕舞った。