旭屋出版〜パテ・ド・カンパーニュ完全ルセット集

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この本には50のレシピが載っている。この本の前書きでパテ・ド・カンパーニュのことを「パテカン」と呼んでいる。パテカン。ちょっとわたしも言ってみる。そもそもパテカンは家庭料理であって、お金を出してレストランで食べるものではないと何人かのシェフがインタビューに答えていた。そうか。

熊を調べながらうすうす感づいていたがわたしはどうやら見た目は更年期の主婦だが中身は間違いなくアラフィフのおっさんだろう。20代で渡仏、30代で有名フレンチ店のシェフ、40で独立。そんな何十人もの男たちのパテへの思い。わたしは気がつけばがっつり何時間も読み続けていた。

何人かの人がフランスの田舎で生きた豚を一頭丸ごと、その日のうちにみるみる食肉に変えてゆく屠殺現場に強い衝撃を受けたと語る。わたしはフランスへ行ったことはない。そんな風景を何冊かの本で読んだだけだ。

ある人は生きた豚がある時点から美味しそうな肉に変わる、と書いていた。わたしが覚えているのはイタリアの若い主婦が屠殺の日は朝から夜まで、場合によっては真夜中まで仕事をし続けなければならず、それは重労働であると書いていたことだ。

サルキッチンというお店の内藤という人は面白いことを書いている。「人間には食べ物を吸収するときも含めて、体を常に同じ状態に保とうとする機能が備わっているので、よい材料をストレスなく吸収出来た時に『おいしい』と感じる」(p56)。

限られた紙面でのかいつまんでのインタビュー記事なので書かれている文章はところどころ飛躍していてわかりにくいが、つまりそれで彼は飼育動物を使わないという方針なのだという。おそらくフランスの田舎のパテ作りを原点としての論理である。

「飼育動物が発する自然界にはない嫌な雑味」。そんなものがあるのだろうか。「ホルモン剤を打たない」「母乳を飲んでいる」。そんな食肉が良いのだと言う。よく読めばこのシェフは理学部で生体制御学を専攻したらしい。

わたしの夫は食肉加工関係の商社で働いていた。だからハムやソーセージを物流販売の視点でしか見ないところがある。物販の世界では商品の発色を良くすることが購買に繋がるという原則から発色剤も当たり前に使うし、品質の維持と安全面から酸化防止剤の使用は法律で定められていたという(今はわかりません)。

わたしがサルシッチャを手作りしたときは夫はそれは怯えながら食べていた。塩蔵は48時間、一旦冷凍することなどと呪文のように呟きながらもぐもぐ食べる。

背脂で分厚く覆われたパテは冷所で1カ月は保存可能。こだわりのシェフはパテにする前の肉を冷たい部屋(いわば大きな冷蔵庫ですけど)で何週間も熟成させる。エイジングにはドライエイジングウェットエイジングの2種類がある。そんなページを読んでいることなど夫に知られてはならない。可哀想だからね。

わたしの夫のような人はお店で売っているのでない、つまり厚生省がいいよ、と言う前のハムやソーセージを食べるなどストレスでしかない。酸化防止剤って何?と尋ねると沢山摂れば体が腐らなくなるやつだと笑う。

わたしが肉の塩漬けをはじめたのはそもそもは時短を目指していたのだ。肉を塩蔵すれば頻繁に買い物へ行かなくてよい。わたしたちはあまり肉を食べない。塩辛いソーセージやハムが冷蔵庫にあればわたしたちは何日もそれで暮らせるのだ。

パテはいいな。鶏でも豚でも出来るなんて。ああ作りたいなあ。こういうものは冷水で乳化させる(つまり滑らかになるまでよく混ぜる)のだと読んだのだがそれすらもしないと語るシェフもいる。食べたときに肉がボロボロと砕ける感じがいかにもフランスの田舎を思わせるんです。へー。そうなのか。

少し前に読んだドイツ料理のシェフの本にはドイツ人には食感という認識はないとあった。かつてコマーシャルで久保田利伸はパリッという音をさせてソーセージを食べていたがじっさいドイツ人はソーセージをくるんでいるケーシング(豚の小腸)をベリベリとはがして中身だけを食べている。

お買い物が大好きなわたしの夫は高級なハムやパテを買っていいことになった(わたしも食べたいので)のが嬉しくて休日はスーパーを梯子したりする。

この本ではパテの付け合わせはキャロットラペのみとするシェフが何人かいた。ほろ苦い生野菜を何種類もブレンドして皿に盛ると言っていた若いシェフもいた。

本日の付け合わせはセロリ、クレソン、わさび菜と塩とグレープシードオイル。綺麗なセリが安かったのでセリのナムルも作る。やっぱナムルと白飯、いいよなあとか、ダメ。ダメなんだよ。

だってパテ修行は始まっているのだからね。