足音/Mr.Children

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わたしには恩人がいる。中学のクラスメイトだった彼女とわたしが初めてふたりきりで話したのは、たしか中学生になって初めての夏休みがくるころの蒸し暑い日曜の午後だった。

そこは彼女の部屋だった。当時彼女は彼女の祖父母が暮らす母屋と土間続きの離れで一人暮らしをしていた。その日彼女はわたしの目の前でベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」を弾き語りした。

いったいどんないきさつでわたしはその日彼女の部屋へ行ったのだろうか。彼女は学校では普通の不良少女だった。

彼女は透き通るような美声であった。イントロからの鮮やかなスリーフィンガーテク。わたしは頭をガーンと殴られたようになった。わたしのギター訓練の日々はこうして始まった。

彼女とわたしはやがて休日に歌声喫茶のようなところでコンビを組んで歌うようになった。彼女が旋律を歌い、わたしがハモる。わたしたちにはオリジナルも何曲かあった。曲は全て彼女が作った。

また夏が来てある日わたしたちにスカウトが来た。スカウトと言っても声を掛けて来た人はとあるアマチュアバンドのリーダーであった。わたしはその夜大真面目に両親にその話をしたが両親はまるでとりつくしまもなく、しかもわたしはその日からギターを禁止されるという困った事態となった。

方や彼女には反対する親は無く、彼女はその夏アマチュアバンドのボーカリストとして大人に混じってステージデビューをした。長い髪、鋭く光るような大きな瞳。ある日登校した彼女がみんなの前で数人の上級生に罵られていた。誰かが先生を呼びにいったそのすぐ後に彼女がリノリウムの階段を転げ落ちていったのをわたしは見た。中学を卒業すると彼女は単身東京へ引っ越していった。

わたしが二十歳で出産すると彼女が突然家にやってきたことがあった。そのときに彼女は驚くようなことを言った。18歳で結婚した、男の子を産んだ。不思議なことだがわたしはそのとき彼女に何も尋ねなかった。

それ以来彼女は節目になるとわたしのところへやってくる。わたしが夫の女性関係に悩んでいたときにも彼女は突然やって来て、夜にわたしのこどもたちと庭で一緒に花火をしたということがあった。

わたしが彼女と最後に会ったのはわたしが占い師をしていたころだ。わたしはその日彼女の住む高級マンションの広いリビングで彼女の作った冷たいうどんを食べていた。彼女は話し続ける。最初の夫はプロのギタリストだった。そして今の夫はサラリーマンであると。

わたしは彼女に尋ねた。最初の結婚で産んだあの男の子は今どこにいるの。彼女は言った。アンタさすが占い師だよね。彼女はそそくさとキッチンへ立ち、やっぱりわかるの?とわたしに尋ねた。

わたしは黙る。雰囲気とか会話とかだ。どうやら彼女はわたしでない占い師から酷な解き明かしをされているようだった。‥‥先祖の障りなのよ、彼女は挑戦的な視線でわたしの方を振り返る。その子生まれてきたときもう死んでたの。彼女は言った。

わたしは彼女と別れたその日占い師を辞めた。占い師をやめて本当に良かった。だから彼女は恩人なのである。

あのころ、あの初めての夏休みのことだ。わたしたちはいつまでも歌っていた。美しい彼女のメロディにハモっているあいだはわたしはわたしの人生がたしかに煌めいて華やぐのを感じていた。

彼女がアマチュアバンドでデビューしたときわたしは彼女を羨んだ。稚拙な年頃の苦々しい思いに酷く苦しんだ。だけど彼女は本物の歌手だったのだ。だからわたしのことなどまるで意に介さず、夢に向かってひたすらに突っ走ることが出来たんだろう。

あのとき、占い師のわたしはこころのどこかで彼女の不幸を了解していたのではないだろうか。占い師ならはそれは赦されると自分本意でいたのではないか。

「よかったらわたしたちと一緒に歌いませんか」

アマチュアバンドのお兄さんから声を掛けられたときわたしたちは共に浮かれ、小躍りして喜んだ。その先の不安に苛まれることもなかったし、なにより彼女は当時孤独であったわたしの唯一こころ通い合う同士であったのだから。

わたしがMr.Childrenに夢中だと言ったら彼女はなんていうかな。この女性ボーカルの「足音」はすごくいい。彼女をおもいだしては気持ちが崩れ落ちる。繰り返し聴いている。そうだわたしはあのとき新しい靴を履いたのだし、これからもそうしていかねばならない。

http://youtu.be/UMW41KkCG_8