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BTS



少し前、昭和の雰囲気たっぷりの商店街を歩いた。今はもう亡くなった母、自己主張ばかりして母の内心を洞察しなかったかつての稚拙な自分。


母は温かみに欠けた変人であった。執念深くて盗癖があった。林檎を剥いて最初のひと欠けをまず自分の口に放り込む貪欲な人だった。そんな母の口癖は「アンタには将来お店を一軒持たせてやるから」だった。商才に長けた勘の良さがあり、母の店は繁盛していた。また母はハッとするほど美しい人だった。


私は九九と音読が出来ず、当時特殊学級という呼び名で恐れられていた「習学別クラス」への転入を勧められていた。その日林檎を剥く母は目に涙を貯めていた。高校一年。遅刻、欠席、赤点。そんな私の行く末を母は案じていたに違いない。飲食で出合った友人たちは「将来お店を持たせてやるから」を羨ましいと口々に言った。


ところが私は心底嫌悪していたのだ。何もかもを疎んじていたのだ。流しの中の山積みのカップと皿。カウンターの店の常連たち。昼間でも暗い勝手口の煙草と排水の臭気。直ぐに泣いてしまう母や小母たち。酒に酔う乱暴な男たち。なにもかもが嫌だった。吐き気を催す程嫌だった。


昭和の商店街では何人もの年寄りを見る。大人になっても幼いままの私にはわからなかった。母は孤独だった。母は八方塞がりだった。母は慰めが必要な人だった。幾つになっても嫌だ嫌だを繰り返すばかりの長い長いいやいや期の只中のこの娘は、きっと尖った言葉で可哀想な弱った親を痛めつけていたんだろう。