Lady Hillingdon

日本のバラの育種家で鈴木省三という人がいる。usaoが初めて手にしたバラの本は鈴木省三の本だった。「ばらに贈る本」という本で、バラの歴史、品種、育て方、各地のバラ園の案内などが100ページにも満たない薄い本の中に簡潔にまとめられていた。そしてこの本は最後のページにバラの香りのするオイルの染み込ませた紙が貼り付けてあった。

バラとの出会いはこの本との出会いであったと言ってもいい。それまで沢山の本との出会いがあったが、ページを開くとふわっと花の香りのする本を手にしたのは初めてだった。バラの芳香には何種類かある。なんとか系、ダマスクとか、ティーとか、なんかいろいろある。この本についていた香りは芳純というバラの香りで雑味のない石鹸の香り。もちろん鈴木省三の作ったバラだ。

この本は3回くらい買った。いつもプレゼント用である。今は本棚にない。いつでも買えるという安心な本を買わないのが習慣だ。

usaoは私が小学5年くらいに出現した男の子であるが、年齢を重ねて成長し、ライフステージに応じて主人格を援助してきた。癌の疑いで検査入院する時にusaoは本屋でこの本を買った。最初の入院が決まった病院の帰りに満開のバラ園を主人と歩いた。私は真っ白な気持ちだった。そこで私はラバグルトというカップ咲きの赤いバラを見た。ああ、バラって綺麗だなと思ったのを覚えている。

関東に住んでいた時どうしても行きたいバラ園があったが結局行けなかった。千葉県の佐倉草ぶえの丘バラ園である。このバラ園は生きたバラの博物館とも言われている。鈴木省三の本拠地であり、ルドゥーテコーナー、鈴木省三コーナーがあるという。ルドゥーテというのは世界的に有名な植物画家である。でもすご〜い昔の人だ。

高価な本は買わない主義だが、一冊だけ高い本を持っている。鈴木省三監修のばら花図譜だ。この本を私は繰り返し図書館で借りた。図書館の人がたぶん絶対にあー、もー、めんどくさい!って思うくらい数え切れない回数閉架から出してもらって借り続けた。見かねた主人から許可が出て購入した。

鈴木省三はこのバラ図鑑の前書きで中学時代先生の目を盗んで花壇に幾つもの球根を植えたと書いている。麗しいいたずらだ。卒業後園芸の専門学校へと進み、世界に名だたるバラの育種家への道を歩み始めた。

私の手許に昭和30年発行の「バラのアルバム」という古書がある。知人から頂戴した貴重な本であるが、この「バラのアルバム」のp76とp134には育種家となった鈴木省三の文章がある。交配、剪定などの基本的なバラのノウハウが端正に書いてある。昭和30年発行だから仕方ないのだが、このバラのアルバムはページのほとんどが白黒写真という図鑑としては不毛な本である。内容も幾らか偏りがある。バラ剪定用の刃物について詳しい記述があり、14種類の剪定バサミが白黒写真で載っている。うーん。展覧会で入賞するには、という幾分露骨な記事もある。和服姿で沢山のトロフィーと記念撮影しているおじさんの白黒写真。うーん。まあ面白いからいいか。

タイトルのレディヒリンドンはusaoの1番好きなバラである。1910年のイギリスのバラでティーローズである。紅茶の香りのバラである。

ティーローズはキネンシスとギガンティアの交配で、四季咲きだ。つまり真冬でなけれはいつでも咲いている。バラ園はたいていきつい剪定をするがティーローズなどの弱い品種には優しい剪定をしているところが多いようだ。花数は少ないが株が大きく堂々としている。

usaoがこのバラを気に入っているのには訳がある。主人格の私が人混みが苦手なせいで今だに満開のバラ園をゆっくりとは歩けないのだ。特に休日のバラ園はその季節には大変な混み様だ。私はバラ地獄と呼んで極力避けて来た。仕方なく少し気温が上がり、人出の減り始めた頃のバラ園に行くとこのティーローズが元気に咲いている。usaoはレディヒリンドンをじっくり眺めるのだ。私達は真冬のバラ園へも行く。花の無いバラ園はバラの名前の表示された表札だけがずっと続いていてなんかお墓参りみたいだ。ちょっとしんみりだが私は嫌いじゃない。花の無いバラ園から帰り、白黒のバラのアルバムをパラパラと眺める。私の脳にはこれくらいがちょうどいい。私の気に入っているバラはミセスハーバードスチーブンスだ。薄い花びらの古い白バラだ。うちの近所の公園にこのバラのお父さんのフラウカールドゥルシュキーがある。バラの名前って不思議だ。「ミセス」は訳せばハーバードおばさんだ。なんかこれだとかっこ悪い。レディヒリンドンには確か金華という芳名がついている。 usaoは時々鈴木省三監修のオールカラーのバラ図鑑を見ている。しかし疲れてレディヒリンドンとキネンシス達を見ると図鑑を閉じる。そして目を閉じる。脳内バラ園をusaoは作成中だ。いいな。いつでもバラが見られるよ。usaoってすご〜い。

脳内人格たちの人生もなかなか大変だ。