ミッシェル・ポルナレフ 「シェリーに口づけ」

黒糖マフィンを焼いた。何処かにあるはずだとガチャガチャやってみたが干し葡萄は見つからなかった。ちょっと出来ごころで強力粉でやった。5歳は黒糖マフィンにピーナツバターをつけている。自由だな。それをちょっと頂いてサワークリームをのせてみた。黒糖チーズ蒸しパンは昔本でみたことがある。そのレシピは胡麻だった。なかなか良い。今度やってみよう。

マリが消えた時、大量の記憶の流出が起こり不安定になったが、usaoの失踪でも同じことがじわじわと始まっている。ストレスの大部分は予期出来るなら多少は軽減出来るようだ。そして私はusaoの残した何かなら受け入れようという覚悟もある。

奇しくもそれは自転車の思い出だった。

思い出し方に気をつけて、という主治医のアドバイスをまず思い出し、夜のドライブをしながら主人に聴いてもらったがそれほど酷い話でもなかった。小学4年のusaoの横顔。青リンゴ味のガム。usaoが自転車に乗っている。タハラ君という名のトモダチ。立ち漕ぎして坂を登っている。

涙がこぼれる。何も考えず、ただ泣くことにする。ふと見れば主人も泣いている。優しい人だ。

小学4年の私はおしぼりを干している。おしぼりというのは喫茶店で出てくるあれだ。今は居酒屋でよく見る。貸しおしぼり屋さんが入るまで、おしぼりを洗って干し、くるくる丸めるのが私の毎日の日課だった。

タハラ君は私がおしぼりを干し終えるまでうちの飼い犬と遊びながら待っていてくれる。最後の一枚。さあ、行こう。私たちは自転車で繰り出すのだ。

しかし夏休みが来てそれも出来なくなる。夏休みは一日中家の手伝いが続く。はじめタハラ君は隣の空き地で辛抱強く私の出てくるのを待っていた。ある日タハラ君は来なくなった。私は泣いた。泣きながらおしぼりを干す。

そしてusaoはいつも一緒だった。

店の中から父が出て来てレモンとキャベツを買って来て、という。usaoと私は自転車で近所のスーパーへ出掛ける。

ラジオでミッシェル・ポルナレフが「シェリーに口づけ」を歌っていた。 ミッシェル・ポルナレフは一枚だけベストを持っている。もう何を聴いても涙がこぼれる。

辛いとか悲しいとかではない。恨むとか、それもぜんぜんそうじゃない。冷静に考えてみれば私はストレス耐性が無さすぎる。家の手伝いをしていただけじゃないか。父や母の毎日はきっともっと忙しく、さぞかし疲労困ぱいしていたことだろう。そんなことを思うのは間違いか。

usaoは気だて良く仕えていた。

洗濯機は倉庫の入り口近くにあり、私とusaoは倉庫の棚に並ぶ缶詰めや紙包みを端から端まで眺めたものだ。ハインツのソース、エスビーのカレー粉。グルタミン酸、塩。細いストローがぎっちり入った透明のビニールの大袋。

その時倉庫の鉄骨の上を何かが走った。

鼠だった。

私たちは顔を見合わせた。先に笑ったのはusaoだった。私も笑った。

usaoが消えたのやっぱりさみしい。

マフィン型に合わせてペーパーを切る。usaoはこういう作業が好きだった。

私はゆっくり、出来るだけ丁寧にペーパーを切ってゆく。私はusaoになれるかな。いや無理、誰かが言う。 みんな泣いている。