ウイーン、わが夢の街

変なものを見た。

背広姿のサラリーマンが市役所脇の歩道をベッドのマットレスを肩から提げて歩いていた。マットレスは青い布で覆われており、男性は颯爽としている。一体どのビルへと向かっているのか。あの大きなマットレスはビルのドアを通るのか。果たしてエレベーターに入るのか。しかし一体何故、何のために男性はマットレスを肩からぶら下げているのだろう。

幻視かと思い運転席の主人に話した。主人も見たという。引越しじゃないか。いや、背広だったよ。じゃ営業マンかな。マットレス売ってんだよ。それともマイマットレスで出張中かね。これじゃないと眠れなくて、みたいな?

主人はまともに取り合ってはくれない。

今日は転居手続きで朝から市役所へ行った。

市役所で転居の手続き中、番号を呼ばれるのを待ちながらもさっき見たマットレスサラリーマンが脳裏から離れない。試しにマットレス肩掛けで検索してみたがこれだというヒットはない。

転居手続きは続く。統合失調症の私は自治体の福祉手当てを幾つか受給しており、クリアすべき窓口はあと3つ。

保険の手続きの電話で主人が何処かへ消えた。よばれた。私はひとり鞄を抱えカウンターに腰掛ける。緊張でぶっ倒れそう。目眩がする。私はここ数年窓口恐怖症なのだ。

どういうわけかわからない。とにかく窓口やカウンターの類いが苦手だ。

市役所のお姉さんはとても親切だった。一行一行指差しながら名前住所電話番号、と一緒に進めてくれる。私は文字を書くのがとても遅い。緊張すると住所はおろか自分の名前すらわからなくなる時もある。本当なのだ。保険番号を書き写すなどということはまず無理だ。いつも主人に頼んでいる。

3つ目のカウンターのあと、番号を呼ばれるのを待っている間にいろいろなことを考える。

昔は平気だったのに、いったいいつ頃から窓口恐怖症は始まったのか。

一番苦手はクリーニング屋だ。理由はわからない。警察署は建物を見るだけで具合が悪くなる。市役所と学校はどっこいどっこい。スタバもミスドも31もみんなみんないつしか恐怖となってしまった。

住民課の窓口で何かのことで怒っているおじさんを見た。私の父もあんな風だった。よくああして窓口で怒っていたし、また、よく怒鳴られてもいた。

私たち家族が健康保険証を初めて手にした日のことをよく覚えている。苦労してしかも親戚の反対を押し切って両親は日本国籍を取得。指紋押捺

まだまだある。両親の離婚、失業。

母は人前で字を書くのをたいてい嫌がった。母は字は下手だが絵は上手かった。珈琲を淹れるのがプロ級に上手くて、いや、プロだった。うちは喫茶店だった。

私の窓口恐怖症は母から受け継がれたものだ。あの時の母の緊張と不安が、今頃になってやって来た。どうして今?

記憶の中の母はひとり喫茶店のカウンターで珈琲を淹れている。珈琲の香り。真剣な表情。

主人がやっと戻って来た。不安そうな私の顔を見て言った。

マットレスは市長の昼寝用だな。

ああ、マットレス。忘れてた。やっぱりあれ幻視だったのかな。記憶の丘の上のカフェでは「ウイーン、わが夢の街」が流れていた。