Zooey Deschanel - "So Long" (Winnie the Pooh )

夢を見た。ドアを開ける。するとそこは子ども時代のわたしの家だった。懐かしい部屋。台所。ふと見ると食べっ放しの茶碗や湯呑みで流しはいっぱいだ。スープの寸胴、油で汚れたフライパン。わたしは片付けを始める。父と母、兄、弟が楽しく団欒している声が聞こえる。わたしは恐怖に駆られ荷物をあたふたと取りまとめ玄関を出た。駅までの道のりを確かめつつiphoneを握りしめひたすら歩いた。時折振り返る。誰かが追いかけてくるのではないかという恐怖に我慢が出来ずに走りだす。振り返ってはならないという声がする。わたしは泣いていた。そこで目が覚めた。わたしは起き上がり、いつも通りお弁当を作り始める。

今日はアウトレットへ靴を買いに行った。ふらっと入ったお店でマリンブルーのハイカットのスニーカーが半額だったのでちょっと履いてみた。するとお店のお姉さんがサックスブルーを持って来て「こちらの色がいいですよ」と言う。サックスブルーを履いてみる。「こちらは服を選びません」お姉さんが頷く。しかしわたしはどうしてもマリンブルーが良かった。もう一度マリンブルーを履く。「赤がいいかと」お姉さんが今度は赤を持ってきた。赤か。

エルはマリンブルーが好きだった。今はもうエルの居ないわたしにマリンブルーは似合わないようだった。わたしは結局何も買わず靴屋を出た。

生まれて初めて小説を書いたのは高校3年の春だった。主人公は女の子でそれがエルだ。快活でタフ、明るくて負けず嫌い。喜んだり怒ったりすぐに感情が顔に出てしまう。エルはそんな女の子だった。

わたしが高校2年の12月のある日、長い刑期を終えた叔父が出所した。叔父は我が家に同居することになった。叔父がどうして収監されたのかその時は詳しくは聞かされなかった。叔父の出奔は中学の時分のことでそれはわたしが生まれる前のことだ。だからわたしは叔父とこの時が初対面であった。

リビングのソファで、わたしは叔父にテレビのリモコンの操作方法を簡単に伝える。叔父は無表情だった。角刈り、白いシャツに紺のジャンパー。日に焼けて乾燥した頬と手の甲。

その夜遅く電話が鳴り、何やらバタバタと騒がしい。叔父が自殺を図った。その時まだ危篤であったが翌朝叔父は死んだ。

部屋を汚しては申し訳ないと叔父は少し離れた路上で割腹自殺をした。アスファルトにいっぱいの鮮血が流れ出ていた。アルコールがいいらしいとドボドボと日本酒を道路に注ぐ。それでも叔父の血痕は何ヶ月も道路に残った。

身近な人間の死はそれが初めてではなかったがわたしは何日も動揺し落ち着かなかった。何か自分が本物の自分でないような存在の不確か。不安。そして発作。ここから逃げ出さねばならぬという衝動がどうしても抑えられない。わたしは学校へ行くふりをして駅へ向かう。とりあえず券売機で買える金額いっぱいの切符を買いホームに入って来た電車に飛び乗った。

東へ向かう。もうすぐ海が見えるはずだった。見えた。水平線だ。わたしはホームに降り立つと一直線に砂浜を海岸に向かって歩いた。粒子の細かい砂に足を取られなかなか進めない。波の音が次第に近づくのがわかる。記憶はそこで途切れている。

小説の中でエルはむしゃくしゃすると決まって海へ行くのだ。海を求め、海に癒されるそんな物語がわたしのはじめての小説だ。叔父の自殺のすぐ後でわたしは後を追うようにして自殺を図った。幸い一命は取り留めたがエルを持ってしても自殺は防げなかった。いや違う。エルがいたからこそわたしは一命を取り留めたのかもしれない。

ムショ帰りの叔父が自殺した時、わたしは強い罪悪感を感じて苦しんだ。身近な人の死は往々にして根拠のない罪悪感を引き起こす。

しかしその罪悪感こそがエンターすべきポジティブ記憶だと今は感じている。呪縛では無いあれは絆であった。おそらくは惨めでかっこ悪い自己憐憫もあったのかもしれないが決して負の連鎖ばかりではない、互いの琴線に触れる深い共感とシンパシーを感じていたのだ。

小説の中でエルは言う。あたし今日ここで大潮を待ってるの。エルは大潮の満ちてゆく波打ち際でくるぶしを海水に浸し、死にたい気持ちと厳しく対峙した。

HATE TO SAY GOODBYE。

HATE TO SEE THE END。

ズーイー・デシャネルは唄う。

さよならはもう2度と御免

終わりにはしたくないんだよ

クリストファー・ロビンは学校へ行ってしまったけどわたしの脳内の100エーカーの森はいつでもそこにある。

ありがとうエル。さようならエル。

マリンブルーのスニーカー。

やっぱり買えば良かった。