流れ者に捧げる詩 / なぎらけんいち(1976年)

昨日に引き続き早朝から畑仕事。ひとり畑でウォークマンで音楽を聴く。草を引く。地面からべりべりと草を剥がす。引き抜いた草の根っこの土を払い落として少し遠くの草の山へ放り投げる。引き抜かれた草はここで枯れ果てる。

わたしは思う。どうかわたしもここから引き抜いてくれないか。どうやらわたしは生まれてからずっと張り付いている。もううんざりなのだ。べりべり。草を剥がす。

なぎら健壱は歌が上手いなあ。流れ者に捧げる詩は絶品だな。

なぎら健壱グッチ裕三山口智充佐藤竹善。わたしの男性の好みは非常にわかりやすい。友人によれば男性は大きく分けて猿タイプと熊タイプに分けられるらしい。アンタ熊だね。友人は言うのだ。熊は熊でも歌える熊、そして弾き語り熊にわたしは滅法弱い。フォークソングなぎら健壱のギターはとびきりシャープだ。切れている。ドライブ感も抜群だ。

草を一本一本地面から自由にしてあげながらわたしはMちゃんを想い出している。わたしが両親の経営する国道沿いのレストランで働いていた19歳のころ、Mちゃんはフロアー係りをしていた。Mちゃんはわたしのふたつ下だった。

余白のない小顔に大きな目。くるくる円らな瞳をしていた。太い眉毛。良く笑う、白く柔らな頬。サラダには必ずマヨネーズをぐるぐるとやる。

Mちゃんは朝鮮人と日本人のハーフ、父親が朝鮮人。母親はMちゃんが生まれてすぐ家出した。新しい母親は朝鮮人。Mちゃんは初等科から朝鮮学校へ通う。中学入学の頃両親が離婚。Mちゃんは日本の中学へ一年間だけ通ったが3人目の母親もその時期に家出して、Mちゃんは再び朝鮮学校へ戻った。

朝鮮学校の中等科でいったい何があったのかは聞かなかった。Mちゃんは朝鮮学校の中等科を2年で辞めている。学校はそこまでだ。以来父方の祖父母の家の離れでひとり暮らし。わたしが出会った時には水商売を幾つか経てそれなりに自活をしていた。

お店の休みになるとMちゃんはわたしの家に来た。部屋でゴロゴロ。出前を取ったりしてふたりで過ごす。Mちゃんは男の子の話ばかり。どうのこうのどうのこうの。話の終わりは決まってあたし将来普通の主婦になりたい、子どもは普通の学校へ通わせたい、絶対旦那の稼ぎだけで暮らしたい、確かそんな結末だった。

ねえ、マミちゃんは?将来何がしたい?

Mちゃんがわたしに尋ねる。そんなMちゃんが眩しいのだ。わたしは考える。そうだな出来れば一生独りで居たい。1日も早くこの家から出たい。やっぱ外国へ行きたい。イタリアかドイツへ。しかしわたしはMちゃんに自分の夢を語ることがとうとう1度もなかった。

ねえマミちゃんが好きな男って?Mちゃんはこの質問を百万回繰り返す。ねえやっぱ朝鮮人嫌だよね。あたし朝鮮人大嫌い。Mちゃんは屈託無く吐き出す。

あたしだって嫌いだよ。何故だろう、わたしはこの一言が吐き出せない。Mちゃんが吐き出せば吐き出すほど、わたしは自分をひたすら呑み込んだ。

当時わたしには見合いの話が来ていた。けして早くは無い。在日コミニティーでは19歳なら嫁に行けるのだ。見合い相手は血縁でない遠縁で土建屋の次男、24歳、もちろん在日朝鮮人だった。

叔母が言う。私らは気違いの家系。マミちゃんは行ける時に嫁に行ったほうがいいんだよ。

母が言い返す。あたしはこの子にお店一軒出して貰って老後は食べさせてもらうんだから。この子はお嫁になんて行かないよ。

1度だけMちゃんの暮らす離れに遊びに行ったことがある。Mちゃんがわたしにプレゼントがあると言うのだ。

部屋の中はこ綺麗に片付いていた。シングルベッドには青いベッドカバーが掛けられており、ベッド下には長細い引き出しがあり、Mちゃんが満面の笑顔でその引き出しを開けて見せた。そこには小さく畳まれた女性下着が一面に並んでいた。赤、青、緑、黄色、紫、黒、白、セピア、ピンク、レース。カラフルで美しい。全部未使用の素晴らしいコレクションだった。

Mちゃんがわたしに言う。マミちゃんの見合い用にさ、とっておきのブラジャーとパンツ、あたしからのプレゼントだよ。はい。

そう言ってMちゃんはわたしに1組のパンツとブラジャーを選んでくれた。Mちゃんは茶色い紙袋にそれを入れるとニコニコとわたしに手渡してくれた。わたしも笑う。嬉しいありがとう。わたしたちはどちらからともなくハグをした。

結局わたしは今の主人の子を妊娠して見合いはしなかったけれど、家を出る時にMちゃんがくれたパンツとブラジャーはちゃんと荷物に入れた。

1度も付けることの無かった勝負パンツと勝負ブラジャー。

で、何色?ん?パトリックが尋ねる。

あのね、タータンチェック。赤と緑のさ。Mちゃんがさ、これ高いんだよって。

へー。パトリック仰天だ。

ちなみにパトリックは熊でも猿でもないね。

わたしの主治医はなぎら健壱似である。似てるなんてもんじゃないよ。フォークギター持たせたらまるでなぎら健壱だよ。

褒めてるんだよ、これ。

てか、ほぼ愛の告白だよ。これ。ね!