映画「神々の山嶺」を観ました

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服部文祥「百年前の山を旅する」を夕べ遅くから読みはじめる。この本の存在は少し前から知っていたがなにしろインパクトのある内容なので借りてきて眺めては一旦返す。ある時は延長したりするなどそれとなく側に置いて時間を掛けて馴染ませていた。

神々の山嶺」を観た。エンドロールが良かった。只ただ青い山の景色。それだけだ。それなのにこれでもかと胸を打つ。涙が溢れた。視界がぼやけてエベレストが三角の塩むすびに見えた。

岡田准一の健闘にこれまた圧倒された。ヨレヨレのTシャツのドブのような汚れ具合。陽に灼けて皮膚を損傷した痛そうな頬っぺた。映画って凄いな。原作の長く厳しい登山の描写が一瞬の吹雪の轟音で了解となってしまうのだ。壮大な雪山に重々しい足取りの岡田准一がまるで虫のようにちっぽけだった。

陰影の効いた鉄板のカメラワーク。わたしには丁度良い。こういうの大好きだ(邦画好き)。

シアターを出てフードコートで夕ご飯を食べた。それにしてもこのフードコート来るたびにお店が入れ替わっている。目新しいカレー屋さんでわたしはチキンザグ。ナンで、と映画の半券を出す。確か割引なのだ。お金、出してよ!と片言の日本語でカレー屋のお兄さんが笑った。ああ忘れてた〜。

少し離れた場所でピビンバを注文した主人と座る。どうやらこのカレー屋には呼び出しブザーが無い。わたしはお兄さんとアイコンタクトが取れる場所に座って居なければならないようだった。番号を呼ばれる。お兄さんはやっぱりわたしを見て叫んでるよ。

今度ニトスキでピビンバやろうよ、主人が言う。うん。わたしの頭の中はまだ吹雪が吹いていた。やっぱり原作読んでないからちょっと意味がわかんないなあと主人。まあそうかもとわたし。

帰宅後わたしは原作本をぱらぱら。あった。1960年5月16歳の羽生が新宿駅構内で登山装甲スタイルの春風山岳会の一行に遭遇するシーン。

「周囲の人間たちが、その集団のために道を開ける。その真ん中を無造作にいかつい汚ない男たちの集団が通過していく」(夢枕獏神々の山嶺」上巻p153)

1960年の新宿駅構内だ。今でこそ明るく美しい新宿駅だが、当時様々な苦渋の人生が交錯したであろううら暗い新宿駅構内を征く登山隊をひと目見た、若き羽生丈二に訪れた邂逅。

彼がこの先の孤独な人生を歩む希望と同義の、この忌まわしき人間世界を自力で脱出してみせるという幻想がこの日に生じた。力強く進む登山隊が自分を運んでくれると羽生は信じた。羽生は登山隊を軍隊か何かと勘違いしたのかもしれない。わたしはこのシーンにだいぶ期待していたのだがあの新宿駅とあの頃の時代の混迷が今はもう過去の遺物であることを象徴してかこのシーンは描かれなかった。

山屋って言ってたね。主人が言った。登山家じゃなくて山屋なんだね、なんかかっこいいね。ねえ、登山したくなったでしょう。わたしが尋ねると全然、と主人。山なんて危ないよ。彼はしんみりと呟いた。

夢枕獏を本棚に仕舞い、わたしはいそいそとサバイバル登山家服部文祥の本を手に取った。ふむふむ。鯖街道を実際に塩サバを担いで歩くとな。

固められた地面がここは機械が固めました、と足裏を伝って僕に語るのだと服部は書いている。

百年前と言えば江戸時代?いや、ぎりぎり明治か。

羽生はエベレスト登頂なんて本当は二の次で、もう2度と登らなくてもいい「最後の山登り」を彼はきっとしたかったのだろう。だけど色々あって彼は山から下りられなくなってしまったようだった。山の上は居心地が良かったのだろう。360度の山岳美、地球を丸ごとのスケール感、まして憧れのマロリーも側にいたというのならよっぽどなことだろう。

岡田君がもう少し早く羽生のところに着いていたら、そしてあのジャニーズスマイルでさあ一緒に帰ろう、と言って迷いなく手を差し出してあげていたならば。わたしが羽生ならば素直に山を下りはじめたに違いない。

それが岡田君だったら、だろ。いやそげなことなかですら〜。パトリック、それはヤキモチなんだろ。

服部文祥を今日も読む。この本に中山道は出てこない。

そうだよ、中山道はわたしが歩くんだからさ〜。