林弘子「水と小麦だけのパン種でつくる酵母パン」

薬念と書いてヤンニョムと読む。ものすごく久しぶりにヤンニョムを作った。白葱を茶碗一杯山盛りに刻み醤油をひたひたにする。すりごまをちょっと多いなというくらい入れて混ぜる。粉唐辛子もティースプーンではらはら、しっかり混ざった処へ胡麻油を垂らす。甘くないヤンニョムだ。ニンニクも入れない。初めて作ったのは10歳の時だからかれこれ40年作り続けていることになる。

もう20年くらい前の出来事だ。友人の主宰するワークショップで賄いとして雇われたことがあった。3泊4日だった。朝昼晩韓国料理でやれと言われてまあ4日くらいならいけるかなと引き受けた。知り合いのコリアン居酒屋から一食ケータリングすることに決めてなんだかんだと飲みながら交渉をしたり、鯖を1度に10尾買い付けたりしてとてもとても楽しかった。私は車の運転が出来なかったから友人は運転手をしてくれた。

ワークショップは韓国文化云々というしち面倒臭いものだったがあちらこちらからユニークな一匹狼たちが集い合うこととなった。結局私は4日間ずっと夜は飲んで歌って踊った。仲良しも出来た。

ある時厨房にひとりの女性がやって来た。ヤンニョムを作らせてくれ、と言う。どうやら私の作るヤンニョムが気に入らないらしい。

白葱がいただけないという。何処と無く高貴な雰囲気漂う彼女は柔らかい薬味ネギを微塵切りにした。醤油を染み込ませそれはそれはふんわりと優しいヤンニョムだった。ほんのりと甘い。フェミニンなヤンニョムだった。

私にはそんなものはヤンニョムではないように思えた。私の良しとする処のヤンニョムは葱が強く圧倒的な辛味で魚や肉を締めるものだ。私も私のヤンニョムも荒削りで無骨極まりない。荒々しい時代の味がする。

コリアン居酒屋のケータリングは高価だった。牛肉の煮込みや春雨と野菜の和え物、とにかく豪華な内容。美味しかったな。

やがて私は脳の病気を発病し、友人知人とは疎遠となる。阪神大震災もあって。私の身近な友人たちが被災した。結局そのワークショップが最後となり、それ以来会っていない人もいる。

林弘子の本をパラパラとやる。文字ばかりの地味な紙面。この本で老麺を知った。懐かしい本だ。林さんに会ったことはないがもう亡くなってしまった。残念でならない。林さんの酵母への熱い思いをはじめ全く理解出来ず、そんな理解出来ないことへの執着がいまの探求に至るきっかけだった。探求と呼べるほどのものでもないが。

ヤンニョムは温かいかき揚げ蕎麦にのせて食べた。